自白のみで有罪は認定できないが、捜査によって被害者たちの生前の言動などから自殺の強い意思がなかったことがわかれば、それが重要な状況証拠になって、捜査段階の自白を支えるだろう。そのような説得力のある状況証拠をどれだけ集めることができるかが、今後の捜査のポイントのひとつだ。
そして、殺人罪で起訴されれば、裁判員裁判で裁かれることになる。しかし、果たして本件は裁判員裁判に馴染むのだろうか。事件数が多く、争った場合には時間がかかる。これだけ異常な事件では、裁判員の「市民感覚」が生かされる余地がほとんどない。そのうえ、こうした猟奇的事件は、裁判員の心理的負担が重すぎる。
以前、強盗殺人事件の裁判で裁判員を務めた女性が、証拠採用された現場や遺体の写真を見たり、消防に助けを求める被害者の声の録音を聞いたりしたことで、急性ストレス障害を発症したとして、国に損害賠償を求める訴訟を起こしたことがあった。この女性は、裁判が終わった後も、心身の不調に苦しみ、仕事も失った、という。
裁判員向けのメンタルヘルスサポートはあるものの、一度受けた精神的ダメージは、そう容易には回復するものではない。
職業裁判官は、職業の自由がある中で、自分でその道を選択した人たちだ。弁護人を務める弁護士も、事件を受任するかどうかを自分で判断できる。これに対し裁判員は、自分が引いたわけでもないクジで、たまたま当たってしまった人たちが呼び出される。
この女性は、国民に裁判員制度への参加を義務付けるのは、憲法が禁じる「意に反した苦役」に当たると主張したが、判決は「裁判員の辞退を弾力的に認め、負担を軽減するさまざまな措置があり、国民の負担は合理的な範囲にとどまる」として訴えを退けた。女性は最高裁まで争ったが、敗訴が確定している。
こうした訴えもあり、裁判所は、遺体写真など刺激の強い証拠に関しては、立証に必要不可欠かを、公判前整理手続の段階で吟味し、検察が写真ではなくイラストで代用するなど、裁判員の負担を減らすなどの配慮をするようにはなっている。
とはいえ、人を裁く以上、現実を直視することが大事だろう。証拠の“マイルド化”は、被害の実態を矮小化しかねない。
じり貧状態の裁判員制度
裁判員法では、例外的に職業裁判官のみの裁判で行う場合の規程を定めている。ただし、それは被告人の言動や被告人が所属する組織の構成員らの言動によって「生命、身体若しくは財産に危害が加えられるおそれ又はこれらの者の生活の平穏が著しく侵害されるおそれ」があり、それを恐れて裁判員の確保が困難な状況になった場合のみだ。
果たして、このままでいいのだろうか。