昨年行われた京都大学や大阪大学の入学試験における出題ミスにより、一度は不合格とされていた受験者が追加合格となったことは記憶に新しいです。これらは外部からの指摘をきっかけに大学側が検証した結果、発覚したもので、各大学は採点をやり直し、追加合格者を出しました。
今回は大学側がミスを認め、自主的に検証し対応しましたが、仮に不合格だった受験生の方から「私は正しく答えたはずなのに、不合格になるのはおかしい」ということを裁判所に訴えて、合格にしてもらうことはできるのでしょうか。
1.裁判所はどんなことでもジャッジできるのか
憲法76条1項は「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」としています。ここでいう「司法権」とは、具体的争訟について法を適用し、宣言することによって、それを裁定する作用のことを言います。すなわち、具体的な紛争に対して法を適用することにより、これを解決する作用のことです。そして裁判所法3条1項はそれを受け、裁判所の権限について、「裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する」と定めています。
では、裁判所が裁判をすることができる「法律上の争訟」とは一体なんでしょうか。
これは、具体的な当事者間の権利義務や法律関係の存否の争いごとであり、その争いごとを法律によって最終的に解決することができるものをいいます。
たとえば、「貸したお金を返還してください」という争いごとは、貸金返還請求権という権利の存否の争いごとであるため、法律のプロである裁判所は民法などの法律を適用して判断することができます。
しかし、「犬のほうが猫よりかわいい」という訴えを起こされても、「動物のかわいさ」に関する法律があるわけでもありませんし、紛争なのかどうかもわかりませんので、裁判所としては判断することができません。また、「こちらの絵のほうが芸術的だ」と訴えを起こされても、絵に関して素人である裁判所には、その絵が芸術的であるかはわかりません。
2.過去の裁判の例
実際、過去にさまざまな争いが「法律上の争訟」に当たらないとして裁判所から“門前払い”をくらっています。
たとえば、御本尊「板まんだら」を安置する正本堂建立のためにお金を寄付したものの、「板まんだら」は偽物であるため寄付金を返せ、という請求に対しては、昭和56年4月7日、最高裁は、「宗教上の教義の判断が、争いの結果を左右する不可欠のものであり、争いの核心となっている場合は、法律によって解決することができないものであるため、裁判の対象にならない」としています。