記録は望めずメダル争いだけの東京五輪
東京オリンピック(五輪)は世界新記録の数がもっとも少ない大会として、歴史にその記録を残すことであろう。そう考えられる理由は以下の3点である。
(1)気温が高い
(2)無観客で選手たちのモチベーションが下がる
(3)トップアスリートのなかで新型コロナウイルス感染への不安が原因で不参加が続出している
気温については、7月に入り東京でもすでに連日30℃を超え33~34℃も記録していて、大会期間中には35℃以上の猛暑日も多くなるだろう。しかし、こんなことは五輪誘致の段階でわかりきっていたことだ。その結果、今大会はメダルをどの国が、そしてどの選手がとるかだけに関心が集まる結果となっている。
メディアは連日のようにメダル候補者の動向ばかりを追っているが、日本オリンピック委員会(JOC)は前回のリオ大会よりも獲得メダル目標数を多く設定しているが、それは前述の理由から科学的でないし、そもそもメダルの数で国威発揚を目的とすること自体アナクロニズム以外の何物でもない。
国民を騙してでも実施する五輪の政治利用
日本政府は東京五輪・パラリンピック開催の意義について昨年まで東北の「復興五輪」と言ってきたのに、いつの間にか「コロナに打ち勝った証」と変わってきた。どれもご都合主義であるが、百歩譲っても政府は両方の理由を言い続けるべきだった。そうしないのは、五輪誘致に東北の方々を政治利用してきたことを自白したようなものだ。
先日、安倍晋三前首相が月刊誌「hanada」で東京五輪について「歴史認識などで一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対している」、五輪開催を批判する野党については「彼らは、日本でオリンピックが成功することに不快感を持っているのではないか」と発言した。しかし、野党も当初から五輪開催に反対してきた事実はなく、現在反対や無観客と主張しているのは野党だけでなく、国民全体の8割近くである。それらをすべて「反日」というのだろうか。安倍氏からの流れを汲む菅政権こそが、五輪を政治利用しているのではないか。すべては次の総選挙で自公政権を継続したいがためで、そのためにコロナ対策が二の次になっていることは全国民が見抜いていることである。
政権に忖度する自治体首長によってコロナ危機は続く
東京都などの会場が無観客と決定し、福島県はいったんは観客を入れて野球とソフトボールの計7試合を実施するとしていたが、新型コロナの感染状況を鑑みて無観客となった。内堀雅雄知事は「思い描いた全体像とは違うものとなった」と述べたが、いまだに仮設住宅に住む多くの県民や大震災への県民の厳しい目があるからであろう。一向に進まない復興に加えて、他県から観客が来ることでコロナが拡大することへの警戒があり、「五輪よりも先にやることがあるだろう」というのが多くの声なのだ。
これに対して不可解なのが宮城県だ。3月に仙台市を中心に感染者が急増、人口10万人当たりの新規感染者数が全国最多となった経験があり、最近も再び増えているが、村井知事は「プロ野球やJリーグの試合が入場者数を制限して行われており、五輪だけに観客を入れないのは筋が通らない」と政府とまったく同じ言葉を発しているのだ。
しかし、人流が増えれば感染拡大になるのは隣の福島県と同じで、宮城県も大震災で復興も道半ばであるはずだ。北海道の鈴木知事も基本的に無観客とした一方、マラソンへの対応は矛盾している。たとえば大通りビッセ(大通公園に面した複合施設)のカフェの予約がいっぱいで、かなりの人が集まるといわれている。どうしてもやるなら人口密集地域を外して行うべきであるし、そもそも北海道はこの時季は気温も高く、とても記録は望めないのだから、単なるメダル争いだけになるだろう。
つまり自治体の首長の意向によって対応が異なること自体に、問題があるといわざるを得ないのである。
都議選の重要な争点も、五輪対策の迷走でうやむやに
先の東京都議会議員選挙では、五輪問題以外にも東京都心低空飛行問題が争点にあった。事前の全候補へのアンケート調査では、約4割が新ルートの中止や減便によるルートの運用見直しを訴えていた。ところが選挙戦に入ると五輪とコロナ問題一色となり、メディアも新ルートについての候補者の賛否を取り上げることは皆無となった。つまり、都民の生活と暮らしにとって極めて重要な都心低空飛行の問題も、政府と小池百合子都知事の五輪、コロナへの無策と迷走によって、どこかに吹っ飛んだのである。その意味でも、菅首相と小池都知事の責任は大きく、即刻退陣を求めたい。
(文=杉江弘/航空評論家、元日本航空機長)