「ブレーキはかけられない」--暴走の果てに
マスコミを通じた情報で事件についてのイメージを抱く市井の人々と違い、捜査機関のトップは、捜査で得られた情報は逐一報告を受けていた立場である。そうした者が、自分の見立てと異なる捜査結果を否定し、思い込みをまったく修正しようとしないのは、実に深刻な問題と言わざるをえない。
いくら元警視総監が「オウムが犯人という見方は間違っていない」と力んでみても、警視庁公安部は最後まで、誰が実行犯で、それに協力した者が誰で、どのように拳銃を入手して実行に及んだか、という基本的な事実を把握できていなかった。
当初、公安部はオウムの在家信者だった元警視庁巡査長に狙いをつけた。約半年間軟禁状態に起き、催眠療法のようなことまでやって、元巡査長の詳しい自白をとったが、そんなものが裁判でまともな証拠として扱われるはずはない。しかも、供述の裏付けはまったくとれなかった。「犯行につかった銃は神田川に捨てた」との供述に基づいて、大がかりな川ざらえもやったが見つからなかった。
この頃に警視総監だった井上幸彦氏は、先の番組のなかで、こんな発言をしている。
「だから、これは(オウムとは)違うんじゃないということで、もっと地道な捜査をやらなきゃいかんと言うんだけども、みんなが一生懸命やってるわけだから、途中でブレーキかけるなんて、できませんよね」
かなり正直な心情の吐露と言えるだろう。しかし、捜査機関の幹部は、方向性が誤っている可能性が見えた場合には、しっかりブレーキを踏む役割があるのではないか。部下たちから恨まれても、一方向に突き進んでいる捜査をいったん停止し、出発点に立ち戻って証拠を見直し、捜査をやり直させる。そういうブレーキが作用しなければ、捜査は暴走する。暴走車は、目的地に達しないだけでなく、他人を傷つける凶器にもなりうる。
1999年には、元巡査長とオウムの元幹部らを殺人未遂容疑で逮捕した。しかし、事件とのつながりは何も出てこず、不起訴となった。それでも、オウムの誰かが犯人に違いない、という思い込みは修正されることなく、捜査は暴走を続ける。
中村を追った特命捜査班の班長で、長年凶悪犯罪の捜査に従事していた原雄一・元警視庁警視が、今年春に出版した『宿命・警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年』(講談社)には、こんな記述が出てくる。原氏が警視総監に捜査経過を報告し、アメリカで裏付け捜査を行う必要性を説明した場面である。
「私が中村の供述内容を中心に報告していると、次第に警視総監は感情を露わにされ、『こんなことがあるか。こんなことがあってたまるか。間違っている』などと、中村の迫真のある供述内容が信じられないのか、頭ごなしに否定され、マーカーペンを持って説明資料に「×」を付け始めた。そして、立ち会っていた公安部長と公安部参事官に対し、『そうだよな。そうだよな』などと同意を求めていたが、公安部長らは答えに窮していた。私は、事実をありのままに報告しているにもかかわらず、感情的になって耳を傾けず、反対に叱られるくらいならば、無理に捜査経過を報告しても理解が得られないと諦め、しばし黙っていた」
アメリカ出張は許可したものの、それでも総監は「犯人はオウム真理教だからな」と念押しし、「俺もコルト・パイソンを撃ってみたが、狙いどおりに当てることができた」と言った。
犯行に使われたのと同じ拳銃を使えば、誰でも容易に狙撃できると言わんばかりだった、と原氏は述懐している。