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江川紹子の「事件ウオッチ」第113回

江川紹子「性暴力根絶のため国際的な取り組みを」ノーベル平和賞受賞2氏の訴えと日本の役割

文=江川紹子/ジャーナリスト
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 妊娠した女性も少なくなく、ようやく日本にたどり着く寸前、大きなお腹を抱えたままでは帰れないと、船から身投げして自殺した女性もいた。引き揚げ者のための医療施設では、麻酔などの薬品も不十分ななかで堕胎手術が行われた。

 終戦後の旧満州では、地元の中国人から襲撃・略奪される日本人集落が少なくなかった。ある開拓団では、みんなが生きて帰るためソ連軍を頼ったところ、見返りに女性を求められた。その後も守ってもらう代わりに、「接待」と称して若い日本人女性を兵士の性の相手として差し出した。

 NHKの『ETV特集 -告白・満蒙開拓団の女たち-』では、何も知らないまま「接待所」に連れて行かれた女性たちが、泣きながら銃を持った兵士の相手をさせられた体験を証言している。女性たちは、家族や同胞の命を守るために、つらい役割を堪え忍んだ。

 この事実は長らく伏せられていたが、戦後70年が過ぎ90歳代になった女性の幾人かが、自らの体験を語り始めた。そのひとりは、番組の中でこう語っている。

「伝えてほしい。そういうことがあって(私らは)生きてきたんだって。死ぬか生きるか、本当に殺されそうになったりして、皆が引き揚げてきて、(生き抜いたからこそ)今があるんだ」

 このような「接待」は、ソ連軍の側から見れば「自発的」なものに見えるかもしれないが、女性たちは自分や家族、村人たちの命を守るためにやむなく応じたものであって、これも戦争時ならではの性暴力といえるだろう。

 戦時中は、アジア各地で日本軍が加害者として、同じような恐怖や屈辱を、現地の人々に与える側になっていた。その程度も甚だしかったようで、阿南惟幾・陸軍省人事局長は、中支那方面軍の軍紀について、南京を視察した報告書(1938年1月12日)にこう書いた。

「軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪たえず」

 三笠宮崇仁さまは戦後、陸軍将校として支那派遣軍総司令部に勤務されていた時のことを語ったインタビューの中で、こう述べられている。

「ご承知のように、上海上陸以来、残虐事件とか婦女子に対する暴行だとか、罪なき民衆の家を焼くとか、実際にあったわけです。そのころ、岡村寧次大将が北支那方面軍司令官として北京におられました。(中略)岡村大将は四悪『略奪、強姦、放火、暴行』はやめなくちゃいかんとさかんに説いておられました」(『昭和経済史への証言・下』安藤良雄編著・毎日新聞社)

 慰安所が設置された後も、性の問題は解決したわけではなかったようだ。

 陸軍の軍医だった早尾乕雄中尉は軍医部と軍法務部から依頼され『戦場に於ける特殊現象と其対策』(1939年6月)という報告論文をまとめた際、次のように記している。

「軍当局は軍人の性欲は抑える事は不可能だとして、支那婦人を強姦せぬ様にと慰安所を設けた。然し、強姦は甚だ旺(さか)んに行われて、支那良民は日本軍人を見れば必ず是を怖れた」(吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書より)

 中国だけではない。フィリピン女性のマリア・ロサ・ヘンソンさんは、自伝『ある日本軍「慰安婦」の回想・フィリピンの現代史を生きて』(岩波書店)の中で、日本兵2人に捕まり、その上官らしき将校ともども3人に輪姦された経験を書いている。

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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