さらにかれらは、専門学校、短大、上位から底辺までの各ランクの大学にどれくらいの比率で進学するのだろうか? 言い換えれば、これにより志願者数が増える学校は、東京大学なのか専門学校なのか?
私はこうした学歴をめぐる社会意識の調査計量を専門としているが、ここで挙げた疑問点についてエビデンスに基づいた実態を知らない。「何を無責任なことを!」とお叱りを受けるかもしれないが、無責任なのは研究者ではなく、根拠なく政策を進めようとしている政治の側のやり方である。せめて高校の教員に進路指導の現場の状況の聞き取りくらいはしてから、政策立案すべきだろう。
あくまで私見だが、この制度は当事者たちの関心を惹かないで不発に終わるという可能性もあると思う。実際に、次年度から大学進学率が急に伸びることは想定されていないし、受け入れる側の各大学も色めき立つことはなく、事態を静観している。
多様な人生をサポートするバランスのよい政策が望まれる
私は、低所得世帯の大学進学を支援する必要はないと言っているわけではない。それは今も昔も重要な課題であり、今回の「大学無償化」政策も全く無意味だというわけではない。だが十分な下調べもせず、何千億円も予算化するのは消費増税の税収の最善の使い道だとはいえない。
今なけなしの税収で講じるべき対策は、低所得層の大学進学の障壁を下げることだけではない。学費支援があるとしても、なお大学に進学しないで社会に出ようと決める高校生、大卒学歴を得ることなく社会に出た20~40代の社会人たちにも、大学進学者と同等の公的な支援の手を差し伸べることが同じくらい重要だ。
国はこの政策を打ち出すことで、18歳~20歳で大学に進学することが「勝ち組」の人生を歩むための唯一の道であり、この公的ルートを巨費を投じて支援するが、そこで大学に進学しない若者たちは一切サポートしないというメッセージを発しようとしている。
自らが大卒エリートである政治家も官僚も企業人も知識人も、大卒学歴至上主義を疑うことはないだろう。しかし全国民がその価値観に同意して、大卒学歴を基盤とした「人生ゲーム」を戦っている、だからそこに参戦できないでいる人に経済的な支援をしよう、という考え方は少し傲慢ではないだろうか。
社会的な成功へのルートは、何も大卒学歴を得ることだけではないはずだ。人生の幸福をつかむには、その他にも多様なルートがあるべきで、国はそのすべてを支援すべきだ。高校を出て地元で職を得ている20代の若者たち、小さな子どもを育てながら社会を支えている若い父母たち、人生の途中でやりたいことを見つけ、リカレント教育や起業を考えている人たち――。秋からはそんなだれもが消費税を2%だけ多く払うことになる。それがバランスを欠くやり方で再分配されるならば、納得しない人も少なくないはずだ。
(文=吉川徹/大阪大学人間科学部教授)