第105回全国高校野球選手権記念大会は、神奈川県代表の慶応義塾高校が、連覇を狙った宮城県代表の仙台育英高校を下して107年ぶりの優勝を飾って幕を閉じた。
その直後からインターネット上では「応援のせい」という言葉がトレンドワードに浮上するほど、慶応の大応援を批判する声が飛び交った。
慶応は大会を通じて応援団が選手たちを後押ししたが、あまりの声量の大きさに毎試合、終了後にはネット上で物議を醸してきた。そしてそれは決勝戦も同様で、球場が慶応のホームグラウンドであるかのように錯覚するほどの大応援団を結成し、割れんばかりの大声援を送り続けた。
その大声援が試合を左右する出来事があった。5回、慶応が2点を追加し、なお2死2、3塁の場面。慶応の切り込み隊長・丸田湊斗選手が左中間に飛球を打ち上げたが、仙台育英の左翼手と中堅手が交錯して落球。結果、この回に5点が入り、試合は決した。交錯した2人は、慶応の大声援でお互いの掛け声が「まったく聞こえませんでした」と話していたことから、“応援のせい”で仙台育英が負けた、と考える人が続出しているようだ。
だが、長年、高校野球の取材を続けるスポーツ紙記者は、この“応援のせい”という考え方を疑問視する。
「確かに、過去に類を見ないほど、慶応の応援は大音量でした。それも統率の取れた応援で、終始大きな声援と応援歌が流れ続け、慶応にとって大きな力になったのは間違いありません。しかし、仙台育英が慶応の応援に屈したとはいえないでしょう。春のセンバツ(選抜高等学校野球大会)でも対戦していますし、慶応の応援が大音量となることは緒戦から続いているので試合前からわかっていたからです。当然、対策も練っていたはずです。
仙台育英の須江航監督も、『決して声援にのまれたわけではなかった』と語っています。仙台育英は昨年の覇者ですし甲子園の常連校です。“相手の声援が大きかったから負けた”などとは考えもしないでしょう。
慶応の肩を持つわけではありませんが、慶応の応援は圧力こそありましたが、相手が守備時にタイムを取った際に応援を控えるなど、一定の配慮も見られました。注文をつけるとすれば、甲子園の応援マナーとして、肩を組んでの応援は禁止されているのですが、慶応の応援席では肩を組んで応援する行為が何度もあった点です。
ただ、これは慶応が得点した際などの応援歌『若き血』を歌う際の伝統ともいえるので、大目に見るべきか、次回からは改善すべきなのか、といった判断は高校野球連盟(高野連)が行うべきでしょう」
では、高野連は今後、慶応のような大応援団を規制する可能性はあるのか。スポーツジャーナリストの中村俊明氏は否定的な見方を示す。
「高校野球に限らず、どんなスポーツでも応援は付き物です。テニスやゴルフなど、<プレーの瞬間は静かにする>といったマナーが定着しているスポーツもありますが、多くは観客が好きなように声援を送ります。そして話題性のあるチームや選手が登場する場合や、特別なストーリーがある対戦(例えば、因縁の対決、兄弟対決、ライバル対決など)がある場合には注目度が高まり、観客が多くなります。また、試合が白熱すれば声量が大きくなりがちです。その時にボリュームを制限すれば、盛り上がりに水を差すことになりかねません。
大きな応援によって選手が緊張したり、空気に飲まれるということはありますが、その際に応援する観客が非難されるのは筋違いです。それも含めて選手の実力というべきでしょう。
今夏の甲子園で慶応は、高校OBだけでなく慶応大学の学生や大学OBなど、幅広い関係者が甲子園に集結しました。応援歌や塾歌など、幼稚舎から大学まで共通して歌える歌があるため、“慶応グループ”という帰属意識が強く出た結果といえるでしょう。大学付属の高校は数多くありますが、慶応ほど系列校の結束が強いグループはめったにないので、今回ほどの大声援はなかなか見られないかもしれません。したがって、規制はしないでしょうし、必要もないでしょう」
慶応の優勝に伴い、その応援や選手たちの髪型など、多くの議論が飛び交っている。裏を返せば、今回の甲子園の注目度が高かったことの証左だ。近年、少子化や子供の野球離れなどの影響から、野球人口の減少が顕著になっており、過去最多だった第84、85回大会の4163校から参加校は減り続け、今大会は3486校だった。そんななかで高校野球への関心が高まったのは、明るい話題といえるだろう。
経済効果も大きく、国内有数のビッグイベントとなった夏の甲子園は、ネット上の反応も強い。運営する高野連も、規制をすべきかどうか、頭を悩ませるところだろう。Business Journal編集部では、高野連の見解を問い合わせ中である。回答があり次第、追記する。
(文=Business Journal編集部)