ビジネスジャーナル > 社会ニュース > 執拗なジャニーズ叩き報道への違和感
NEW

執拗なジャニーズ叩き報道への大いなる違和感【沖田臥竜コラム】

文=沖田臥竜/作家
【この記事のキーワード】, ,

執拗なジャニーズ叩き報道への大いなる違和感【沖田臥竜コラム】の画像1

 10月16日をもって「ジャニーズ事務所」という名称が消えた。

 もう十分ではないのか。ジャーナリズムの基礎の基である「一方聞いて沙汰するな」を犯してまで、ジャニーズ叩きに精を出すマスメディアがいかに愚かであるかを世間に晒し続けるのは、もうよいのではないだろうか。故・ジャニー喜多川氏を擁護しようというではない。ジャーナリズムの鉄則を破り続ける報道に警鐘を鳴らしたいのだ。

 ジャーナリズムとしては、双方の話を聞いた上で判断し、公益性を踏まえて報道することが重要なはずだ。片方がすでに亡くなっているので話を聞きようがないという言い分があるのなら、それに加味した報道であるべきでないか。もはや、事実かどうかも確認しようがないことまで持ち出して、死者を冒涜し続けることを、ジャーナリズムと銘打って、マスメディアがわざわざ大上段に構えてやるべきだろうか。

 それでも事態を重く見ているジャニーズサイドは、被害者の声を第一に考え、法を超えた責任を負っていくと明言している。そして、真摯にも記者会見を2回開いたものの、結果、マスメディアの餌食にされてしまった。

 当事者なき欠席裁判のような場で、新経営陣を激しく責め立て、名称の消滅に追い込んでみせたのだ。その後も、執拗なジャニーズ叩きは続いている。誰かが止めなければならない状況が続いていると言えるだろう。

 被害者救済は大事だ。だがそれを錦の御旗にして、これまで輝かしい功績を残してきたジャニーズ事務所を悪の権化のように叩き、個々のタレントたちの活動まで否定していいのだろうか。

 加害者不在の中で、ジャニーズに対する制限なき責任追及をマスメディアが続けるお陰で、どれだけの人が心を痛めているか、当のマスメディアがわからないはずがない。多くの国民、特にファンと呼ばれる人たちへの、ジャニーズが持つ絶大な影響力を知っていたからこそ、性加害問題をこれまで見て見ぬふりをして、ジャニーズというバリューにしがみついてきた当事者こそが、テレビや新聞、出版者といったメディア企業ではないか。それは歴史が証明していることだ。それなのに、この手のひら返し。いつから弱いものいじめがマスメディアの仕事になったのだ。

 記者会見におけるNGリストも、あれだけ大騒ぎするようなことだろうか。ジャニーズの会見では、YouTubeメディアにまで門戸を開いていた。これまで、公益性の高い官庁等の記者会見において、記者クラブ加盟メディアしか参加させないなんてことが当たり前にあったのは、報道に携わる身なら誰だって知っていることだ。また、テレビ局主催のドラマの発表会見には、今でもNG媒体リストは歴然と存在している。

 今回、全国に生中継される中で、リスクヘッジも業務のうちであるPR会社が、NGリストを作成したとしても、それは当たり前のことではないのか。どんな不規則発言が飛び出すかわからず、放送事故につながる可能性がある中で、会見を開く側がそれをコントロールしようとする姿勢を見せることは不自然なことではない。時間無制限で全員の質問の答えていくことなどは不可能なのだから、質問者を指名する権利を会見を開く側が持つのも当然である。それも、果たすべき責任のひとつだろう。

 上記は私の考えだが、実際にはジャニーズの経営陣は、PR会社がつくったNGリストを用いることに反対していたのだ。それなのに、また記者会見を開かなければいけないなどという言われなどない。

 なぜここまで歪んでしまった論調に付き合うのだろうかと、こちらが疑問に思うほど、ジャニーズはこれまで、マスメディアに対して真摯な姿勢を見せてきた。対して、マスメディアは、節度のない報道陣の行動や、片側一方による証言のみを正義と掲げ、出直そうとする経営陣を非難する姿をお茶の間に届けることに違和感がなかったのか。

 会見に出席した報道陣の中には本来、猛省しなければならない人が少なくなかったはずだ。記者会見は、激しく相手を罵倒する場所ではない。それなのにテレビを通じて、大の大人たちが弱い者を集団で叩くという構図を見せつけ、まるでジャニーズが犯罪集団かのように印象づけてしまったからだ。

 私が記者を派遣する立場で、もしその記者がNGリストに名を連ねたら、その人間の日頃の姿勢をも問題視する。記者は、取材ができて初めて報道することができるのだ。それなのに会見の場に参加できない立場になったとしたら、記者失格ではないか。他媒体の記者は取材できたにもかかわらず、NGリストに名を載せられた挙げ句、ルールすら守らずに会見で大声を出していたのが自社の記者だったら、私はその姿を問題視する。結果がすべてなのだ。

 ジャニーズが崩壊するまでの社会の空気を今になって作ったのは、取材における基礎の基も知らない、そうした報道のあり方に大きな要因があったのは間違いないだろう。歪んだ報道が展開され、世論が形成されれば、スポンサー企業がジャニーズのタレントの起用を躊躇するのは当たり前の話だ。

 我々は、少年ジャンプやジャニーズのタレントたちから、感動や勇気、楽しみを与え続けてもらった世代である。そのタレントたちが罪人のような扱いを受け、ジャニーズが崩壊しようとしている今、どれだけの人々が心を痛めているか、マスメディアの人間は本気で考えたことがあるのだろうか。あれほどの国民的アイドルを輩出し、芸能界に大きな功績を残したプロダクションはないのだ。そして、マスメディアは、それと歩調を合わせてきたのではないか。それであれば、ジャニーズが法を超えた責任を取るという姿勢を後押しする一方で、ジャニーズの再生の道を共に歩む姿勢を見せてもいいはずだ。

 それなのにジャニーズを消滅させ、今もなお執拗に非難し続けるという姿勢は、後になって、マスメディアの衰退の一因として刻み込まれるのではないか。

 それでも、ジャニーズは必ず立ち上がる。なぜならば、それだけの影響を与え続けた存在だから、ジャニーズを支えようという力も大きいからだ。そして、再び立ち上がり、また世間の人々に感動を与えて見せることこそが、ジャニーズにとっては、何よりの過去の清算となるのではないだろうか。

(文=沖田臥竜/作家)

沖田臥竜/作家

沖田臥竜/作家

作家。2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、小説やノンフィクションなど多数の作品を発表。小説『ムショぼけ』(小学館)や小説『インフォーマ』(サイゾー文芸部)はドラマ化もされ話題に。最新刊は『インフォーマ2 ヒット・アンド・アウェイ』(同)。調査やコンサルティングを行う企業の経営者の顔を持つ。

Twitter:@pinlkiai

執拗なジャニーズ叩き報道への大いなる違和感【沖田臥竜コラム】のページです。ビジネスジャーナルは、社会、, , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!