元裁判官が語る「えん罪や、検察のねつ造が生まれるカラクリ」
――足利事件の菅家利和さん、厚労省の村木厚子さんの事件などで、えん罪は社会的にも注目されていますね。
原田 裁判は証拠で争うものです。「証拠から合理的に判断すると、この被告は犯人じゃない可能性がある」と裁判官が思うような立証しか、検察ができていないのであれば、無罪にしなければいけません。つまり、「合理的疑いを差し挟む余地がない」だけの立証を検察ができないのであれば、有罪にしてはいけないのです。無実の人に刑罰を科すことは、同時に真犯人を野放しにすることにもなります。
ただ、無罪判決を出しやすい裁判官は、批判の対象になりやすいんですよ。「言い逃れをする被告人を、きちんと有罪にしてほしい」という思いが社会には根本的にありますから、社会の敵を野放しにしていると見られてしまうのです。菅家さんのような悲惨な例が出てきて初めて、えん罪の存在を社会は知るのです。無罪判決が多い裁判官は変人扱いですよ。
――日本の刑事裁判の有罪率の高さから考えると、確かに原田さんは異色の裁判官と見られるかもしれません。平均より多くの無罪判決を出すことで、どこからか不当な圧力をかけられたりということはありませんでしたか?
原田 実は世間の人が思うよりも、はるかに裁判官は自由なんです。民間企業のサラリーマンなら指揮命令系統がはっきり決まっていて、上司の許可がなければ、ものごとを判断できませんよね。検察もそうです。でも、裁判官は違います。新人といえども、上司の指導を仰ぐことはあっても、判断は自分でします。所属する裁判所に対して、判決内容の事後報告すらしません。裁判官は本当に政治からも捜査機関からも、そして他の裁判官からも完全に独立した存在ですから、不当な圧力がかけられるということはありません。
――厚労省の村木さんの事件では、検察調書のねつ造が問題になりましたね。検察調書がねつ造されたものかどうかというのは、裁判官にはわかるものなのでしょうか?
原田 検察官が自分の意見を押しつけているな、という印象を受ける調書は確かにありますね。被告に有利な重要な証拠を1審で出さず、控訴審になって、裁判官から要求したら出してきた、ということもあります。ただ、私が逆転無罪にしたケースは、やっぱり被告本人が無罪を主張しているケースが多いんですよ。最初から一貫して無罪を主張しているケースもあれば、自白調書を取られているのに、控訴審から無罪を主張し始めたケースもあります。前者は自白調書すらない。後者は自白調書はあるけれど、やっぱり自分はやってないと主張している。そうなると、どちらにしても客観証拠の問題になるんです。
――一方、前出の菅家さんの事件では、被告である菅家さんは、自分が犯人ではないのに、犯人だと言ってしまっていました。こうしたケースはよくあるのですか?
原田 ごく普通に生活している人にとってはピンとこないかもしれませんが、警察、そして検察の取り調べを受けると、多くの被告は極限状態に追い込まれます。そうなると、被告は自分に不利なことでも事実と異なる証言をすることがあるのです。