「尊敬する歴史上の人物」「上司になってほしい有名人」などのランキングで必ずといっていいほど上位にランクインする吉田松陰。1830年、長州藩(現在の山口県)に生まれ、1860年に斬首刑に処されるまでわずか30年の間に、後の明治維新への機運を高め、伊藤博文や山縣有朋らを輩出した松下村塾を設立するなど、多大な功績を残した。
常識にとらわれない柔軟な発想で、次々と「掟破り」を行った松陰。どんなに失敗を重ね、投獄され、蟄居になっても、行動し続けた彼の生き様は、現代に生きる私たちの心を奮い立たすものだ。
そんな松陰の言葉を、教育学者で現在はTBS『あさチャン!』のメインキャスターとしても活躍している齋藤孝さんが分かりやすく噛み砕いて説明したのが『超訳 吉田松陰語録 運命を動かせ』(キノブックス/刊)である。
齋藤さんは本書の冒頭で、松陰の言葉を「常に現実とぶつかり合いながら肚(はら)から吐き出された生きた言葉」だと評している。確かに彼の言葉はあまりにも強烈だ。ただ、その強烈さは深い覚悟に裏打ちされている。まったく迷いがないのだ。
今回は本書の第3章「覚悟を決める」から、松陰の「失敗」にまつわる言葉を2つほどご紹介しよう。
右数条、余徒らに書するに非ず。天下の事を成すは天下有志の士と志を通ずるに非ざれば得ず。(中略)今日の事、同志の諸士、戦敗の余、傷残の同士を問訊する如くすべし。一敗乃ち挫折する、豈に勇士の事ならんや。切に嘱す、切に嘱す。(安政六年十月二十六日「留魂録」)
この言葉は安政の大獄に連座し、処刑されることになった松陰が獄中で書いた遺書「留魂録」に収められている言葉だ。
最後の「切に嘱す」という言葉は現代語に訳すと「頼んだぞ」という意味で、自らの意思を継ぐ若き同志たちに向けられていることが分かる。
失敗は挫折を意味するものではない。この失敗があればこそ、天下の大事を成し遂げることができる、そう松陰は伝えようとしている。幾度も失敗を重ね、死を直前にしてもなお、未来を見ている。失敗と挫折を結びつける回路を絶ち、同志たちとともに日本を変えるのだという強い意志が見受けられる。
齋藤孝さんによる超訳…「私は『留魂録』というこの遺書を、何の目的もなく書いたわけではない。同志のみんなに志を通じたいがためだ。私が戦いに敗れたことを、「なぜそうなってしまったのか」と厳しく問い詰めてくれ。私の失敗は志の挫折を意味するものではない。この失敗があればこそ、天下の大事を成し遂げることができるのだ。頼んだぞ、頼んだぞ。」(102ページより引用)
永鳥依然として在り、曰く、「二君の計又違ふか」。余咲つて曰く、「計愈いよ違ひて志愈いよ堅し。天の我れを試しむる、我れ亦何をか憂へん」と。渋生怒憤面に満つ。(安政二年「回顧録」)
「また君たちは失敗したのか」と問われた松陰は、笑って「失敗をすればするほど志はますます堅くなる。天が僕らに与えた試練なのだ」と返す。そんなやりとりが含まれているこの言葉は1855年に書かれた「回顧録」に収録されているものだ。
このとき、横浜にやってきた外国人に会うために港にやってきた松陰と同志の渋生(渋木松太郎)だったが、そのとき既に遅く、外国船は去ったあとだった。そこで2人は小舟を使って外国船に直接横付けをして乗りこむ計画を立てるものの、それも失敗に終わる。
そんなときに放ったこの松陰の言葉。「自らの失敗をこんなふうに笑えるのがまた、松陰のおもしろいところ」と齋藤さんは評しており、笑うことで失敗を吹き飛ばし、元気を取り戻すことの大切さを教えてくれる一言だ。また、笑う松陰に対し、同志の渋生は「なんてついてないんだ」と不機嫌になっているのだが、それも松陰の明るさをいっそう際立たせていると、齋藤さんは指摘する。
齋藤孝さんによる超訳…「君たちの計画はまた失敗したんだな」と言われて、私は笑いながらこう言った。「失敗すればするほど、志はますます堅くなるんだよ。ここで挫けるようじゃ志も大したものじゃないと、天が僕らを試そうと与えた試練なのだから、失敗したってどうしてへこたれるもんか」と。笑顔の私とは対照的に、渋木君の顔には怒りが満ちていたけれど。(116ページより引用)
失敗の先に未来がある。失敗を乗り越えないと成功は訪れない。これは重々分かっていても、どうしても失敗を恐れてしまうものだ。だが、吉田松陰は、失敗を土台にして、その後の維新への流れをつくりあげた。その姿は人によっては狂気的に映るかもしれない。しかし、齋藤さんの超訳によって表現される松陰の言葉は、あまりにも自分の志に実直で、まさに現代に求められている人間像だと思わされる。
本書では「志を燃やす」「迷いを断つ」「覚悟を決める」「心を磨く」「人を育てる」「生死を超える」という6つの章を通して、松陰の言葉を解説してくれる。
2015年のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』は吉田松陰の妹である文が主役。松陰はどのような人物として描かれるのか、それもまた楽しみだが、放送が始まる前にこの本を通して松陰についての人となりを再確認するのもいいはずだ。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。