「欧米と比べて遜色のない目標にする」という安倍晋三首相の「首相指示」を受けて、政府は4月30日、2030年までに温暖化ガスの排出を26%削減するという目標をまとめた。その削減幅は米国や欧州連合(EU)を上回ると、関係省庁の官僚たちが胸を張っていると聞く。
しかし、はっきりいって、これは姑息なやり方だ。というのは、政府の目標はすべての原子力発電所が運転を停止、代わりに老朽化した火力発電所をフル稼働したために温暖化ガスの排出が膨らんだ「2013年」を基準にすることで将来の削減幅を大きくみせるものにほかならないからである。排出そのものの削減に汗をかく目標とはかけ離れていると指摘せざるを得ない。
加えて、どの原発を合計でいくつ動かすのかという国民的な議論を棚上げにしたまま、電源の20~22%を温暖化ガスを出さない原発で賄うとしたことも無責任だ。だまし討ちで脱原発論議を封じる方針と受け止められても仕方ない。
大したことをしていないのに上手なレトリックで大きな手柄を演出するのが、安倍政権の特色とシニカルに受け止める人もいるだろう。しかし、筆者には、今回ばかりは笑って済ませられる話とは思えない。
まず、安倍政権の名誉のためにもいっておくが、特定の基準年を使って温暖化ガスの排出を大幅に減らしたように見せかけるレトリック合戦を仕掛けたのは、日本ではない。仕掛けたのはEUで、その発端は1997年に合意した京都議定書の交渉が始まった頃、つまり90年代前半と随分昔のことである。
ちなみに、京都議定書は90年を基準とし、2008年から12年の温暖化ガスの平均排出量をそれぞれ、EUが8%、米国が7%、日本が6%減らすという目標を掲げた国際条約だ。ところが、米国は批准せずにいち早く離脱。90年代に入って各地の原発が本格稼働したEUにとっては達成が容易な目標だったが、70年代の石油危機でいち早く温暖化ガス削減(省エネ)に取り組んだ日本には、「乾ききった雑巾をもっと絞れ」というような過酷な目標だったといえる。
当時、筆者はこの問題を重視し、そのことに目を向けないマスメディアの姿勢にも批判の矛先を向けていた。大手新聞の連載コラムでそうした趣旨のことを書き、それが3年半続いた連載の打ち止め記事になったこともある。
欧米からの圧力
話を今に戻そう。京都議定書後の枠組みを決めるため、今年末にパリで開く予定の第21回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)に向けた交渉で、EUはいち早く基準年を90年に据え置いたまま、30年までに40%削減するという目標を打ち出した。その狙いのひとつは、日本にも意欲的な目標を設けるように圧力をかけることにある。