実は対象者となる年収要件「1075万円以上」を安倍政権の成長戦略(「日本再興戦略」改定2014)に盛り込む際に、政府の産業競争力会議内において攻防が繰り広げられた。制度を導入して対象者を拡大したい経済産業省側と、制度導入に消極的かつ対象者を絞り込みたい厚生労働省側が対立し、最終的に「1075万円以上」で決着した経緯がある。
経産省・経済界としては当然それで納得したわけではなく、対象要件の引き下げを狙っていた。経団連会長の発言や経済同友会の意見は、それに沿ったものであることは間違いない。その意味では、今回の塩崎大臣の「小さく産んで大きく育てる」発言は経済界の意向に沿って「いずれ対象者を拡大します」と厚労省が了解したという意思表示とみることができる。
もう1つは、法案に反対する野党以上に、世論の反発を過度に恐れているからだ。それは8年前のトラウマがある。2007年の通常国会では、残業代ゼロ制度の法案が、提出寸前まで至っていた。だが法案の中身は対象者を管理職(管理監督者)の一歩手前に位置する者と想定。年収については「相当程度高い者」とし、対象者の範囲は個別企業の労使に委ねていた。
しかし、法案の内容が明らかになると、年収要件の「相当程度高い者」という曖昧な基準に不審の目が向けられ、経団連が主張する「年収400万円以上」も対象になるのではないかという不安が広がり、世論の反発が一気に強まった。メディアなどでも「残業代ゼロ制度」「長時間労働の野放し合法化法」「過労死促進法」と批判され、しだいに反対世論が形成されていった。
慌てたのは厚労省である。07年1月11日、同省は対象者の範囲を「年収900万円以上」とし、対象業務を「企画・立案・調査・研究・分析の5業務に限る。実際の運用対象者は2万人程度」と発表し、反発を和らげようと努めたが、時すでに遅かった。ついに安倍首相も同年1月16日、法律案について「(法案成立には)働く人たち、国民の理解が不可欠だ。今の段階では理解が得られていない」と述べ、通常国会への法案提出を断念するに至った。
塩崎大臣の胸中
当然、安倍政権はこの時の苦い経験を学習している。そのため、当初から対象者の要件に「年収1000万円以上」を掲げ、対象業務も「高度の専門知識を持つプロフェッショナル」に限定すると発表した。その戦略がうまくいき、大方の国民に「自分たちとは関係ない」という雰囲気を醸成させるのに成功している。また、07年の時にはほとんどの新聞が反対の論陣を張っていたが、今は法案の評価をめぐり四分五裂の状態にあることを見てもわかる。