山村夫妻の住宅探し
平成バブルの頃まで、新興戸建て住宅地は庶民の憧れの街だった。「とにかく郊外でも家を持ちたい」という憧れは、誰しもが抱く自然な欲望だったのだ。この辺の事情をよく表しているのが、1991年4月から6月、TBS系列で放映された連続テレビドラマ『それでも家を買いました』だ。
このドラマは矢崎葉子原作、主人公山村浩子(田中美佐子)と新婚の夫、山村雄介(三上博史)が社内結婚後、神戸から神奈川に転勤、社宅に住みだすものの、複雑な人間関係を嫌気して住宅を探し出すという物語である。
折しも時代は地価高騰期、初めは横浜の東部エリアで探そうとした山村夫妻は、あまりに高い住宅価格に驚愕しながら、次第に横浜市西部の奥地に家を求めてさまよい始める。夫妻は泉区の緑園都市近辺も探すが、200倍を超える倍率の抽選に当たらなかったり、価格が高すぎたりして希望の住宅に巡り合うことができない。
そして、流れ流れて最後に到達するのが、神奈川県津久井郡城山町の戸建て分譲地だ。この地は今では平成の大合併で相模原市城山町となっているが、ドラマでは最寄り駅がJR横浜線相原駅から「三ケ木操車場」行きのバスで20分という設定。夫の雄介は原チャリで駅までの道を急ぐが、どうみても会社までの通勤は2時間以上かかる。
ドラマはここで終わるのだが、主人公のこうした滑稽とも思われる住宅探しは、実は一般庶民ではごくありふれた光景だった。日本のサラリーマンはそうまでしても「住宅を買わなければならない」状況にあり、過大な住宅ローンを組んででも、とにかく住宅を買わなければ一生住宅を持つことはできないと、当時は誰しもが信じていたのだ。
今、残念ながら相模原市城山町が通勤のための住宅地として発展を続け、不動産価格が高騰しているという話は聞かない。もし山村夫妻が現実の人だったとしたら、その後の人生はどうなっているのだろうか。
実際には、こうした人たちは世の中にたくさんいる。住宅探しをしていたのが30歳前後とすれば、あれから25年の時がすぎた。今、50歳過ぎの夫婦とその家族に起こっている現実とはなんだろうか。
ニュータウンは黄昏れて
2013年1月、新潮社から刊行された小説、垣谷美雨著『ニュータウンは黄昏れて』には、バブル時代に一生懸命取得したニュータウンにある団地に住む一家のその後を描いていて興味深い。