高齢化が進む日本。親の介護、そして最期を看取るというのは、息子、娘として子どもとして覚悟しておくべきことであり、いつか必ず来ることだ。そして、どんなに努力しても、悲しみや後悔は残ってしまう。
しかし、相手のためだけでなく、自分のためにも、後悔を最小限にとどめ、最大限の誠意を尽くすにはどうすればよいのか。
『不仲の母を介護し看取って気づいた人生でいちばん大切なこと』(マキノ出版刊)では、著者の川上澄江氏の母が病気と立ち向かい、死と直面する姿を時系列で綴りながら、川上氏の気づきを「親の死後に後悔しないための20のレッスン」として紹介する。
突然の母親への「がん」宣告
川上氏の母・好子さんは病気らしい病気もしたことがなく、健康関連商品の販売の仕事をしていたが、75歳のとき、健康診断で「幽門狭窄の疑い」を指摘される。
度重なる検査の結果、「原発性腹膜がんと乳がんが別々に起こったダブルキャンサー(種類の違うがんが一緒に発病すること)」という診断が下ってしまう。
「ステージは少なくとも三期です。根治は難しいかもしれませんね……」と、医師から説明を受ける。ただし、抗がん剤治療をがんばって、小さくなったら手術ができるかもしれない。その希望のもと、抗がん剤治療を始めることになる。
母親のわがままに翻弄されながら…
「母は一言でいえばわがままな人でした」と言うように、川上氏と母と決して仲がよいという関係ではなかった。
がんを告知されてからは、長年の確執から「母を愛していない」と確信していた川上氏は狼狽の連続だったという。病気や死に対する漠然とした恐怖、病気になってからはこれまで以上のわがまま放題。
川上氏は母の感情に翻弄された。
介護や看護はどうすればよいか、仕事と両立できるか、母と同居したら毎日がケンカの連続になるのでは、など悩みの種は尽きなかった。
闘病の中で変わっていく母親への感情
しかし、2年以上にわたる闘病生活の間に、川上氏の母に対する感情は徐々に変化していくことになる。
「母の意識があるうちに、これまでのわだかまりを解消したい」「母ときちんと向き合い、見送ってあげたい」と願うようになる。結果的に、母の闘病は、川上氏に大きな喜びや幸せ、成長をもたらしてくれたのだという。
今は親が元気だとしても、親の介護や最期を看取ることは、誰にでもいつかは訪れること。そのとき、どう接すればお互いによいのか。また、本書は親子関係の改善やより良いものにするきっかけにもなるはずだ。
(新刊JP編集部)
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※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。