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江川紹子の「事件ウオッチ」第77回

姑息な「天皇隠し」現代語訳で誤解を誘発…教育勅語の復権にこだわる信奉者たちの狙いと妄想

文=江川紹子/ジャーナリスト
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 ところが、教育勅語を信奉する人たちは、この「個人尊重」が気に入らない。「個人の尊重」を、「自分さえよければ」という「利己主義」や身勝手なワガママと混同し、「行き過ぎた個人主義」が人々のモラルを低下させ、日本をダメにしてきた、と信じてやまない。そして、「個人尊重」の対義概念である「滅私奉公」や「全体主義」を志向する。あくまで国家があっての国民であり、全体があっての個であって、国家のためには個人の犠牲を厭わない、という発想だ。

 これは、「公益及び公の秩序」を強調する全体主義的な憲法改正論と軌を一にする。自民党の憲法改正草案は、13条の「個人として尊重」を「人として尊重」に変え、基本的人権の尊重にも「公益及び公の秩序に反しない限り」という縛りをかけた。このような改憲を望む者にとっては、教育勅語の復権は望ましいことだろう。

「教育勅語が道徳倫理を高める」という“幻想”

 それに加え、教育勅語信奉者は、勅語が生きていた戦前・戦中は日本の「美風」が保たれていた、という幻想に支配されているようである。

 櫻井さんは「週刊ダイヤモンド」(ダイヤモンド社/2010年8月14・21日合併号)で、現代に起きている親子間の事件を引き合いにして、こう書いている。

「どう考えても、私たちの時代のこの日本は狂っている。戦後教育は完全に失敗し、私たちはどこかで生き方を間違えたのだ。今の日本人に必要なのは、一にも二にも、基本的な道徳倫理である。日教組や社民党に引きずられ、日本のよき伝統であった道徳や倫理を蔑ろにする教育を根本から改める必要がある」

 古き良き日本を取り戻せ、という主張である。しかし、教育勅語が教育の根本指針として生きていた頃、日本人の倫理道徳は、それほど素晴らしいものだったのだろうか。

 戦前のさまざまな少年犯罪を収集した、タイトルもずばり『戦前の少年犯罪』(管賀江留郎/築地書館)という本がある。それによると、少年による殺人事件は、今より戦前のほうが起きていて、親殺しも例外ではなかった。

 ケチで子どもが病気になっても医者にもかからせない父親を長男がマサカリで殴り殺し、高等小学校を出たままぶらぶらしていた長男が母親の手首を鎌で切り落とすなどして殺し、働かずにいた次男が父親に叱責されてナタで殴り殺し……同書には、そうした事件がいくつも収められている。そのうえで筆者は次のように書いている。

「教育勅語にいくら父母に孝行せよと書いてあったと云っても、戦前は少年の親殺しも多発していました」

「(少年による親殺しは)あんまりめずらしくもなかったので(新聞でも)あつかいはごくごく小さく、発生時には記事になっていない事件が裁判判決が出た時点で数行だけふれられていたり、逆に事件記事だけで後の判決は載ってない場合も多いです」

「戦前の親殺しの最大の特徴は、親だけではなく兄弟姉妹もみんなまとめて殺害する一家皆殺し事件が多いことです。教育勅語には父母に孝行だけではなく兄弟仲良くしなさいとも書いてあるのに、こらまたなんとしたことでありましょうか。しかし、よくよく考えてみますと、こんなことをわざわざありがたいお言葉で教えるというのは、当時は親をないがしろにする者がいかに多くて、兄弟ゲンカがいかに絶えなかったかということなのです」

 教育勅語が生きていた昔はよかったというのは、虚構、妄想の類いといえるだろう。

 それに、現代においても、教育勅語を信奉する人たちの倫理道徳が、そうでない人たちに比べて格別優れているというわけではないように思う。

 園児に教育勅語を暗唱させていた森友学園の幼稚園では、決まった時間以外に排泄を許さない幼児虐待のような行為があったとも伝えられているし、保護者に宛てた手紙の中に「よこしまな考え方を持った在日韓国人・支那人」などといった人種差別の表現があったことも問題になった。

「教育勅語と修身の教科書を復活せよ」と主張した、田母神俊雄・元航空幕僚長はどうか。30年以上連れ添った妻と2人の子供がいるのに、50歳前後の女性と恋仲になり、彼女と結婚するために離婚訴訟を起こし、敗訴した。私自身は、個々の恋愛感情に善悪の判定はつけられないと思っているが、教育勅語を信奉する田母神氏自身は、「夫婦相和し」の教えに矛盾する自分の不倫について、どう整合を付けているのだろうか。

 また、2014年2月の都知事選挙に田母神氏が立候補した際、選挙運動の報酬として現金を渡していたとして、運動員を含む9人が公職選挙法違反の罪に問われた。田母神陣営の元会計責任者には執行猶予付きの有罪判決が言い渡されている。田母神氏は、「犯罪の認識や共謀の事実はない」として無罪を主張し係争中(検察側は懲役2年を求刑)だが、少なくとも道義的責任は免れまい。

 こうした事例を見ると、教育勅語が道徳倫理を高めるというのは、まったくの神話ではないかという気がするのだが……。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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