
指先を再生させた「妖精の粉」
2008年4月、アメリカのリー・スピーヴァックという男性が事故で切り落としてしまった指先を、「妖精の粉」と称される特別な粉末を振りかけることで元通りに再生させた――。
この粉末は四肢の再生をも可能にする驚異の物質だとして、世界中のメディアが飛びつき、大々的に報じた。そのため、記憶にある読者も多いのではないだろうか。一方で、その直後、深く切り落とされたとしても、指先は自然に再生治癒することは珍しくないとして、インチキだという認識も広まった。
だが、その後の研究の進展を含めて冷静に振り返ってみると、それがインチキだとされた背景には、メディアが誇張して大々的に取り上げてしまったことに一因があったとわかってきた。また、「妖精の粉」と称された特別な粉末は、いわば自然治癒力を引き出す触媒として作用するもので、決して非科学的なものではないこともみえてきたのである。
そもそも、「妖精の粉」とは、英スコットランドの作家ジェームス・マシュー・バリーの戯曲『ケンジントン公園のピーター・パン』や小説『ピーター・パンとウェンディ』などに登場する妖精ティンカー・ベルが振りまく粉である。彼女の「妖精の粉」を浴び、信じる心を持てば空を飛べるとされる。そのため、実際には空を飛べるという意味合いではなく、傷を癒やす「魔法の粉」といった意味合いで使用されていたと解釈したほうがいいだろう。
しかし、いったいリーに何が起こったのだろうか? あらためて振り返ってみることにしたい。
「妖精の粉」の有効性は実証
そのニュースが報じられる3年前の2005年のことである。オハイオ州シンシナティ在住のリーは、ラジコン飛行機の愛好家で、誤って回転中のプロペラに触れて、骨は失わなかったが、人差し指の指先を斜めに2.5センチに及んで切断してしまったのだ。その時、組織移植を受けるように勧める声もあったが、兄アランの説得により、「妖精の粉」と称された特別な粉を振りかける治療を試してみるほうを選んだのだ。
実は、アランは組織再生を研究する内科医で、「妖精の粉」をつくり出す研究に関わっていた。「妖精の粉」とされるものは、食用豚から取り出した細胞外マトリックス(基質)を加工した最先端の治療薬の呼称だった。ここで、細胞外マトリックス(ECM)とは、生体を構成する体細胞の外側にある繊維状や網目状の構造体で、生体組織を支持するだけでなく、細胞の増殖・分化・形質発現の制御にも重要な役割を果たしているものである。