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片山修のずだぶくろトップインタビュー 第13回 鍛治舍巧氏(岐阜県立岐阜商業高等学校野球部監督)

2万人リストラに涙をのんだ元パナソニック役員、甲子園出場の野球監督転身で第二の人生

文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家
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プロを蹴って社会人野球

片山 鍛治舍さんは高校時代にピッチャー4番。3年生の春に甲子園ベスト8。早稲田大学に進学後1年生の春からベンチ入り、外野手で3番。4年生の春に六大学野球優勝、日本代表チームの4番、5季連続打率3割と、注目の選手だった。当時、セパ12球団すべてからドラフト指名の話があったそうですが、なぜ、社会人野球の松下電器を選んだんですか。

鍛治舍 選択肢は3つありました。一つはプロ野球。もう一つは、教員になって野球を教える。もう一つは、社会人野球。プロにいくと思われていたので、「いかないかもしれません」と話したら、25社の上場企業から勧誘があった。どこにいったらいいのか全然わからない。そんなとき、当時の松下電器からお話があったんです。

 合宿所に黒塗りのクルマが迎えにきて、羽田、伊丹経由で門真の本社に連れていかれた。そしていきなり、当時の松下正治社長と高橋荒太郎会長に引き合わされたんです。「早稲田の鍛治舍です」と挨拶したら、座っておられた2人がスッと立ってお辞儀をされるんです。私は当時、学生服のイガグリ頭ですよ。その私に、膝まで手を下ろして深々とお辞儀をされる。それが、心を洗われるような美しいお辞儀でしてね。びっくりしました。

片山 松下幸之助さんは、その手のしつけは厳しかったからなあ。松下電器らしい話ですね。

鍛治舍 この会社は違うなと思いました。そのあと、野球部長に連れられて、広い部屋にいったんですね。階段を降りていくと引き戸があって、開けると右側に、知った顔のおじいちゃんが座っていた。それが、幸之助さんでした。

片山 えッ、入社前に幸之助さんに会われたんですか。

鍛治舍 はい。30分くらい話をしまして、最後に「握手しようか」といわれたんです。立つと身長差がありますから、私が見下ろす形になった。テレビで見たままの満面の笑みなんですよ。ところがね、メガネの奥の眼が、笑っていない。見定めるような目でした。このおじいちゃんも違うなと思った。25社のなかから松下電器を選んだのは、あの心を洗われるお辞儀と、メガネの奥の笑っていない目があったからですね。

 入社後も、74年から7年間、毎年幸之助さんにお会いして、都市対抗野球のご報告をしていました。近畿大会で優勝して第一代表になると、最後に「もっと何かいいたいことあるやろ」といわれるんですよ。そこで、「球場の照明をもっと明るくしてほしい」などといって、あとから役員に「いらんこというな!」と怒られたりしましたね(笑)。

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17:30更新
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