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木村貴「経済で読み解く日本史」

約2千年前の弥生時代、なぜ凄惨に殺された人骨が大量発掘…国と課税と戦争の誕生

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「Gettyimages」より

 鳥取市の青谷上寺地遺跡で見つかった2~3世紀(弥生時代後期)の人骨のDNAを最新技術で分析する調査を、国立科学博物館や国立歴史民俗博物館、鳥取県埋蔵文化財センターなどが始めた。

「産経WEST」の報道によれば、遺跡中心部の溝からは、老若男女の人骨が少なくとも109体分、散乱した状態で出土。鋭い武器で切られたり刺されたりした殺傷痕が残るものもあった。戦闘など凄惨な行為があったと考えられるが、その背景は明らかになっていない。

 人間はなぜ戦争をするのか。古くから多くの思想家や研究者が答えを探してきた問いだ。日本で戦争が始まったとされる弥生時代の歴史は、その難問に対するヒントを与えてくれる。

 通説では紀元前4世紀ごろに九州北部で始まったとされる弥生時代といえば、水稲農耕が始まった時代として知られる。縄文時代晩期に渡来人によって北九州に伝えられた水稲技術が、まず西日本、次いで東日本にも広まった。

 同じ時期に日本列島に広まったものがある。戦争だ。

 考古学の研究結果によれば、狩猟採集に基礎を置く縄文時代には、集団と集団とがぶつかり殺し合う戦争はなかった。専用の武器をつくらなかったし、ムラの守りを固めることもなかった。殺されたことが確かな埋葬人骨もごく少ない。

 ところが弥生時代に入ると様子が一変する。周囲に堀を巡らした環濠集落や、台地や山頂に築く高地性集落など、防御を固めた集落が現れる。青銅・鉄・石による専用の武器が登場し、武器を祭器として尊崇する信仰まで生まれる。

 とくに強烈な印象を残すのは、前述の青谷上寺地遺跡でも見つかった、殺傷された証拠を残す人骨である。神戸市の新方遺跡の墓地では、1列に葬られた男性3人の遺骨の中から、それぞれ石鏃が見つかった。そのうち壮年から熟年のたくましい男性は、頭から胴と腕にかけて、17個もの鏃を射ち込まれていた。いろいろな方向から弓矢で集中攻撃されたらしい。

 奈良市の四分遺跡の例もすさまじい。1つの木棺に一緒に葬られた若い男女の遺骨のうち、女性のほうは胸の部分に石鏃が1本。男性のほうは、背中や腰の左右から、鉄の武器で刺されたり切られたりした傷が数カ所、左の肩甲骨や左右の腸骨にある。さらに左の目あたりが鋭利な凶器で骨までざっくりと削られている(松木武彦『人はなぜ戦うのか』)。

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