米国史上最大規模のニューマドリッド地震
アメリカで発生する大地震といえば、環太平洋火山帯に属するアラスカとカリフォルニア、そして火山活動のホットスポットであるハワイを震源とするものばかりが思い浮かぶ。だが、歴史を振り返ると、意外にも中西部ミズーリ州で米国史上最大ともいわれてきた地震が発生している。
時は1811年12月16日午前2時15分、マグニチュード7.5~7.9の巨大地震がアーカンソー州北東部を襲った。だが、これは始まりにすぎず、その6時間後にはM7.4の大地震が再び同地区を襲った。余震が続くなか、翌年1月23日にはM7.3~7.6の大地震がミズーリ州ブートヒールを、2月7日にはついに最大規模M7.5~8.0の大地震がミズーリ州ニューマドリッドを襲った。最初に地震が発生してから余震は1万回近く発生したといわれる。地震の震源は、ミズーリ州、アーカンソー州、テネシー州との境界付近にあり、いずれもニューマドリッド郊外といえる場所である。そのため、この一連の巨大地震はニューマドリッド地震として知られている。
ニューマドリッド地震の破壊力は凄まじいもので、ミシシッピ川を数時間逆流させ、沿岸にあったインディアンの村を丸ごと飲み込み、ニューマドリッドの南25キロの場所に巨大なリールフット湖をつくり上げたのである。このように大地殻変動すら生み出した地震の揺れの範囲は、300万平方キロメートルに及び、ワシントンDCのホワイトハウスでも感じられ、ボストンでは教会の鐘を鳴らした。ちなみに、日本の国土が約38万平方キロメートルのため、いかにこの地震が大きなものだったのかがわかるだろう。そのため、一部の研究者らは、マグニチュードの値があまりにも少なく見積もられており、実際はもっと大きな規模だったのではないかと疑っているほどである。
彗星は大地だけでなく人の心をも揺り動かす?
なぜこのような巨大地震がアメリカ中西部で発生したのか? 実は、現在でもわかっていない。だが、原因として有力視されているのは彗星の大接近である。
ニューマドリッド地震が発生した1811年、肉眼でもはっきりと見える彗星が現れ、翌年にかけて260日間に及んで観測されたのである。もっとも明るく観測されたのは1811年10月だった。この彗星は、推定約30~40キロの核を持ち、核周囲の星雲状のコマと呼ばれる部分は太陽よりも50%も大きく、実に巨大なものだった。当時、アメリカでは「テカムセの彗星」、ヨーロッパでは「ナポレオンの彗星」と呼ばれたが、今では「1811年の大彗星」と呼ばれている。
地震の発生原因として彗星の到来が有力視されている理由は、その二者間には統計的な相関関係が認められるためである。一部の地震学者らは、彗星が太陽に近づくことでバースト現象が活発化し、それによる強い磁気エネルギーが地球に到達して地磁気に影響をもたらすと考えている。その磁気エネルギーがマントルやマグマを刺激して、地殻を押し上げるというのだ。
このように、科学的な根拠はありそうにも思われるが、当時の人々はそんなことを考える余裕などなかったに違いない。彗星といえば、自然災害や飢饉、ペストの流行などを伴う傾向が過去に見られ、不吉なものと思われてきた。また、1811年後半のアメリカ中西部は激動のさなかにあったからである。
先に、アメリカでは1811年の大彗星のことを「テカムセの彗星」と呼ばれていたことに触れた。テカムセとは、ネイティブ・アメリカン(ショーニー族)の戦士または酋長の名前で、自由のために合衆国政府と戦った偉大な人物として知られている。また、弟は予言者であり、1806年の日食予言を的中させるなど、当時、宗教的指導者としてその影響力を高めていた。そんな状況を懸念していたインディアナ州知事のウィリアム・ヘンリー・ハリソン(のちに大統領となる)は、ある時、あえて彼に新たな奇跡を見せるように求めた。すると、1811年9月17日の日食を予言し、再び的中させたのだった。
実は、これには天文学者による助けもあったのだが、テカムセ兄弟がその指導力と影響力をさらに拡大させ、合衆国にとって脅威となっていった。そして、ちょうどその頃、彗星が現れるとともに、11月に「テカムセの戦い」と呼ばれる植民地戦争が起こったのである。不安はあったものの、結果はハリソン知事側(合衆国政府軍)の勝利だった。テカムセは同盟を組んだイギリス軍のいるカナダに逃れたが、最終的に1813年にのちの副大統領リチャード・メンター・ジョンソン率いる部隊によって殺されたと考えられている。これをもって白人が呼ぶ「インディアン戦争」は終わったのである。
本来であれば、テカムセの影響力はこの時点で消えるはずだった。だが、たて続けに発生した大事件、すなわち、不吉な大彗星の到来、予言者を伴うネイティブ・アメリカンの蜂起、そして、大地震の発生といった異例の展開に当時の人々は多大な衝撃を受けた。特に、大地震の発生に関しては、祟りであるとみなす人々もいたに違いなかった。そうして、「テカムセ」の名は決して忘れられることなく、米国史に深く刻まれることになった。
一方、ネイティブ・アメリカンとの戦争に勝利をもたらしたハリソン知事は一躍英雄となり、政治家に転身した。そして、のちに第9代合衆国大統領にまで上り詰めたが、就任後わずか1カ月で肺炎で亡くなった。これは、殺されたネイティブ・アメリカン、いや、テカムセによる祟りとみなされるきっかけをつくり上げた。その後、西暦で20の倍数の年に選出された合衆国大統領には死の災難が襲うという「テカムセの呪い」が生まれるのである。
1860年に大統領に就任したエイブラハム・リンカーンは、1865年4月14日に暗殺された。1880年に大統領に就任したジェームズ・ガーフィールドは、1881年7月2日に暗殺された。1900年に大統領に就任したウィリアム・マッキンリーは、1901年9月14日に暗殺された。1920年に大統領に就任したウォレン・ハーディングは、1923年8月2日に心臓発作で死去した。1940年に大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトは、1945年4月12日に脳溢血で死去した。1960年に大統領に就任したジョン・F・ケネディは、1963年11月22日に暗殺された。1980年に大統領に就任したロナルド・レーガンは、1981年3月30日に暗殺未遂、任期満了、退任15年後の2004年に死去。2000年に大統領に就任したジョージ・W・ブッシュはいくらかの事故を体験したが任期満了、2018年現在存命中といった具合である。
もちろん、近年ではテカムセの呪いを支持する根拠は乏しくなり、筆者としてもまことしやかに伝えるものではない。だが、過去の事例をいくつか振り返ると、彗星の到来が統計的に地震のような災害の頻度を高めるだけでなく、人の心をも揺り動かす傾向がみられることは、決してあり得ないことではないように思えてくる。
なぜなら、我々は穏やかで安定的な自然のサイクルを有した地球環境を必要とするが、それは、彗星のような外的要素に乱されることなく、やはり穏やかで安定的なサイクルを備えた太陽の活動に大きく依存しているからである。
(文=水守啓/サイエンスライター)