2月8日に開催された神戸山口組の定例会。この時、詰めかけた捜査陣や報道関係者らは、ある異変に気がついていた。それが後に業界関係者の間で加熱する、正木組・正木年男組長の総本部長辞任騒動の前兆となっていくのだ。
これまで定例会が開催される日は、遠方であることを配慮してか、札幌市に拠点を置く青木和重幹部率いる五龍会が前乗りして事務所当番に入っていることが多く、この日も五龍会の組員らが当番にあたっていた。その後、定例会開始後に異変が起きる。青木幹部が神戸山口組事務所を慌ただしく出たり入ったりする姿が目撃されたのだ。その理由が、正木組長が執行部に対して、総本部長辞任を申し入れたことにあったといわれていたのだ。
正木組長といえば神戸山口組の設立に際し、広報面における戦略を引き受け、マスメディアを通じて神戸山口組の理念や六代目山口組との対立点などをいち早く広めた人物として知られており、「神戸山口組の大御所」と呼ばれる親分衆のひとりだ。
「それだけに、六代目山口組サイドからしてみれば、分裂当初から正木組長を策士として目の敵にする声が強かった。分裂後は、キーマンとなる働きをしていたということになるだろう」(業界関係者)
その後、この辞任問題が一気にエスカレートしたのは、2月12日に「日刊SPA!」で配信された『神戸山口組の最高幹部“電撃辞任”の内幕』という記事による。要約すれば、正木組長の総本部長の辞任の原因は、神戸山口組・井上邦雄組長が同組の組織力低下の責任を正木組長に問いただしたことに端を発する、両者の確執にあったというのである。
「業界関係者の間の噂と照らし合わせていけば、確かに合致する点がなくはない。しかし、井上組長から厳しい叱責を受けた正木組長がそれを不満に思い、総本部長を降りたというのは果たして事実かどうか。六代目サイドによる謀略、つまり揺さぶりも入っているのではないか」(神戸山口組関係者)
執行部会に正木組長は現れず
さらに、この辞任劇に際しては、出処不明の文書まで拡散されていた。こちらも要約すると、神戸山口組は結成当初の初心に帰って団結し、いつまでも組織が存在していけるようにするべきだという傘下組員からの訴えということになっていた。逆にいえば、それだけ神戸山口組首脳陣が今後の方向性をめぐり揺れているかのように読みとれる内容であったのだ。
「差出人は『神戸山口組傘下団体組員』と記されており、末尾は『此の文章が面白可笑しく怪文書扱いと成らない事を切に願う次第です』と締められていました。また、この文章が出回る少し前に、こんな噂もありました。ある幹部が独自に作成した、組員に対して神戸山口組の今後の指針を示すような文章の存在が、井上組長の逆鱗に触れたのではないかというのです。それが事実であったのか、そして正木組長が総本部長を辞任する原因になったのか、真相はわかりません。ただ、分裂騒動の“戦況”でいえば、現在こうした出来事から、六代目サイドが優位に事を運んでいるような印象になってきているのではないでしょうか」(ジャーナリスト)
さまざまな憶測が業界関係者の間に流れる中の2月15日。神戸山口組は、執行部会を神戸市二宮にある神戸山口組事務所で開催させたが、やはりそこには正木組長の姿がなかったのだ。これで正木組長が総本部長を辞任したことが決定的となった。
「執行部会には普段、姿を見せない井上組長も姿も見せている。それだけ神戸山口組にとって重要な事項があったということだろう。ただ、正木組長の総本部長の辞任だけでなく、執行部の増員や新たな人事も内定したという話がある。内部の確執説が意図的に流された噂だとしたら、それに惑わされないためにも、なんらかの動きを見せたとしてもおかしくない」(地元関係者)
現在では、正木組長の総本部長辞任騒動も沈静化しつつあり、その後、大きな動きは起きていない。だが、六代目山口組サイドでは、10月に迫った六代目山口組・髙山清司若頭の出所に際し、万全な態勢で迎え入れたいとする方針があるといわれている。それだけに今後も、六代目山口組側では神戸山口組や任侠山口組に対して、大きな揺さぶりをかける可能性が高い。すなわちそれは、六代目サイドによる分裂騒動終焉に向けた“終盤の一手”を意味するものになっていくのかもしれない。
(文=沖田臥竜/作家)