5月1日午前0時から新元号「令和」に切り替わった。令和の出典は中国古典(漢籍)ではなく、初めて日本の古典「万葉集」から採った。巻5、梅花の歌32首の序文、「初春の令月にして気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭(らん)は珮(はい)後の香を薫らす」から引用している。
安倍晋三首相は4月1日の令和発表時の談話で「悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく」と述べた。
万葉集の多くの歌に「四季折々の美しい自然」が詠まれているのは事実だ。しかし、それだけではない。奈良時代末期に編まれたこの歌集には、当時の庶民の苦しみ、悲しみを詠んだ歌が収められている。彼らを苦しませ、悲しませたのは当時の政府だった。
当時の庶民の暮らしや感情を伝えるのは、「東歌(あずまうた)」「防人歌(さきもりうた)」と呼ばれる一群の歌である。東歌は東国の農民によって歌われ、防人歌は九州防衛のために置かれた防人と呼ばれる兵士によって詠まれた。防人はおもに東国出身者だったので、題材は東歌と共通するものが多く、東国方言で歌われている。東歌は、全20巻ある万葉集のうち、巻14に収録されている。
「信濃道(しなのぢ)は今の墾道(はりみち)刈株(かりばね)に足ふましなむ履(くつ)はけ我が背」
(訳:信濃道は近頃新しく拓いた道なので、あちこちに出ている切り株でけがをしないよう履をはいてください)
夫の身を案じる妻の歌の趣だ。ここにいう信濃道は、713年(和銅6年)7月に開通した木曽路にあたるらしい。完成に11年あまりを要した難工事で、その間、多くの人々が労役に従事した。税の一種である強制労働だった。
切り拓いた新道に切り株が残してあるのは、強制労働をさせる役人にうっかり踏ませようという庶民の仕返しとの見方もある。もっとも、役人は履をはいているから、踏んでもそれほど痛くはなかっただろう。
公共工事が庶民に負担をかける構図は変わらない
今の日本では、目に見える強制労働による公共工事こそないものの、その代わり国民は税金を取られ、それが道路などの建設に使われる。そうしてつくられた道は一部の業者を潤すだけでろくに使われない農道・林道だったり、車道と歩道の分離もされていない危険な道路だったりする。公共工事が庶民に負担をかける構図は昔も今も変わらない。