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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

なぜベートーヴェンは頑なにカツラをかぶらなかったのか?

文=篠崎靖男/指揮者
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ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン(「Getty Images」より)

 6月11日、英ロンドンの大手オークション会社・サザビーズでベートーヴェンの毛髪の競売が行われ、約480万円で落札されました。当初は、200万円程度の落札額で落ち着くのではないかと予想されていたのですが、約2.5倍の金額となりました。

 僕は、ベートーヴェンの音楽ならともかく、彼の髪の毛にはそれほど興味がありませんが、どうしてそんな髪の毛が残っていたのかを知ると、ベートーヴェンの生真面目な性格の一端を知ることができます。

 ベートーヴェンの最高傑作・交響曲第9番、いわゆる『第九』の初演を終えた2年後の1826年。友人のピアニスト、アントン・ハルムの妻であり、ベートーヴェンの熱烈なファンでもあるハルム夫人が、ベートーヴェンの形見として、まだ存命中だった彼の髪の毛を欲しいと言ったことから話は始まります。実際に、ベートーヴェンは翌年3月に亡くなってしまうのですが、その際に使いを頼まれたベートーヴェンの召使が、適当にヤギの毛を「ベートーヴェンの髪の毛の束です」と、ハルム氏に渡してしまったことを知ったベートーヴェンは激怒し、その場で自分の頭の後ろの髪の毛を切って、ハルム氏に渡したのです。

 以前にも、ベートーヴェンが亡くなった後に切られた遺髪が競売にかけられたことがありますが、今回はベートーヴェンが自身で切った生前の髪の毛として、貴重な物となったのです。

 彼は、不実なことや、納得できないことに対しては、どうしても我慢できない性格だったのでしょう。彼のすべての作品が、真面目すぎるほど、細部までとことんつくり上げられ、ひとつとして無駄な音がないことが、この話からわかる気がしました。

 そう考えてみると、冒頭で作曲家の髪の毛など興味がないと書いた僕も、一度は見てみたくなりました。

 ベートーヴェンの髪の毛に関して、思い出したことがあります。それはベートーヴェンが、作曲家としては、カツラをかぶらずに活動した初めての人物だということです。

 ベートーヴェンより16歳年上の大天才・モーツァルトや、“交響曲の父”といわれ、ベートーヴェンも師事した巨匠・ハイドンなどの肖像画を見ると、カツラをかぶっていることがわかります。それから100年ほどさかのぼっても、“音楽の父”といわれたバッハも立派なカツラをかぶっています。実は当時、宮廷ではカツラをかぶるのが礼儀でした。

 そこで、宮廷や貴族のお抱え作曲家だったバッハ、ハイドン、モーツァルトは、当然のことながら、カツラをかぶっていました。当時の位置づけとしては、音楽家は使用人であり、王侯貴族や教会に雇われることで生計を立てていたので、カツラは宮廷の仕事場での必需品だったのです。

 ところが、ベートーヴェンは、収入の源でもある宮廷を飛び出し、当時、経済的にも活気が出てきた一般市民の前で自分の音楽を披露して収入を得始めた最初の作曲家なのです。そのため、宮廷内の堅苦しいドレスコードなど気にせずに済んだのです。それ以外にも大きな理由としては、本連載でも何度も紹介しているように、生まれ故郷の独ボンで啓蒙思想に染まってからは、「貴族も平民も農民もみな同じ人間だ」と、むしろ反抗するかのように、貴族的趣味の服装をしなかったのです。

 若きベートーヴェンに至っては、フランスの革命家の間で流行った服を着て肖像画を描かせていたほどです。その頃に作曲したのが、“ジャジャジャジャーン”と始まる、有名な交響曲第5番、すなわち『運命』です。彼自身、乗りに乗っていた時期でもあります。

カツラ=権威の象徴だった英国

 話は変わりますが、先日、南アフリカのホテルの中でテレビを見ていると、隣国ジンバブエの裁判所の映像が映りました。ジンバブエ人の裁判官は、みんな頭に白いカツラを着けています。これは、英国植民地だった名残りで、南アフリカやオーストラリアも以前は採用していたそうです。今でも英国はもちろん、英国を宗主国とする多くの国々では、裁判官や弁護士はカツラをかぶるという、17世紀から始まった伝統を守っています。

 ちなみに、英国では、2008年から民事裁判の場ではカツラをかぶらなくてもよくなり、年間7000万円の経費削減になったそうです。実際にカツラは結構高価で、特に裁判官がかぶるカツラに至っては、30万円近くするそうです。弁護士のかつらは格が下がるので安いのですが、それでも7万円くらいもかかり、新米弁護士にとっては痛い出費なので、できるだけ安いものを買って出廷することが多いといいます。しかし、そうすると相手の検事は一目見て、「安いカツラをかぶった“ペーペー弁護士”だな」と、あっという間に見下してしまうそうです。

 英国では、カツラをかぶることは“権威の象徴”と考えられているのです。マーガレット・サッチャー氏が首相の頃(在位1979~90年)では、国会議長もカツラをかぶっていたのを覚えている方もいらっしゃるでしょう。

 これはイギリスだけの話ではなく、もう20年くらい前になりますが、フランスの裁判所の横を通った時も、多くの裁判所関係者がカツラをかぶり、古めかしい服を着て歩き回っていました。日本の裁判所では、さすがにカツラはかぶってはいませんが、裁判官が黒い法服を着用しているのは、同じ理由です。特に人々を裁く司法の場では、権威を示すことが必要なのでしょう。余談ですが、日本の裁判所では、書記官も法服を着ていますが、裁判官はシルク製、書記官はコットン製と差をつけているようです。

 ヨーロッパでカツラが広まった理由としては、衛生状態が悪い時代にノミやシラミが流行し、その対処として髪の毛を切ってしまったために、宮廷内で恰好をつけるためにかぶったのが始まりだとか、フランスのルイ14世は髪の毛が薄く、それを隠すためにカツラをかぶっていたので、周りの貴族も気を遣って見習ったなど、複数の説があります。

 そんな、カツラがまだまだ上流階級の礼儀だった19世紀初頭であっても、ベートーヴェンは頑固にもカツラをかぶりませんでした。そういえば、絵画で見ることができるベートーヴェンの髪型はもじゃもじゃで、お世辞にも美しくセットされたものではありません。もしかしたら当時、カツラ屋さんはたくさんあっても、良い美容師はいなかったからかもしれません。
(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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