13日、被害状況を偵察に来た陸上自衛隊の救援部隊が惨状を目の当たりにし、初めて外部が町の被害を知ることになった。宮城県に対する状況報告は、この時、自衛隊の衛星電話を使って初めて行われることになった。
町対策本部に詰めていた石川勝行さん(80)は当時の状況をこう語る。
「通信は災害時優先電話も含めてすべてだめだった。防災行政無線も壊れていた。生き残った住民に『どこに逃げればいいのか』『食料の配給をどうすればいいのか』などまったく伝えられなかった。町の惨状を誰にも伝えられず、自分の目の見える範囲外の三陸沿岸がどうなったのかもわからない。やむをえず、無事だった公用車で隣接する市町村に支援要請を行い、泥だらけになりながら避難所を回って住民の皆さんに情報提供をせざるを得なかった」
石川さん自身も津波で妻を亡くしていた。同様に多くの町役場職員が家や家族を亡くしながら、孤立無援の状況の中で対応に追われていた。
地元地方紙ですら同町の被害の実態がわかっておらず、現場の記者との通信も途絶していたため同町の状況はほぼ報道はされていなかった。記者らは現場の惨状をニュースにするために、手書きの原稿を県庁所在地の仙台市まで直接持っていくほかなかった。
SNS、AI活用で被害情報収集へ
教訓を踏まえ、国は震災以降、災害時の情報通信網を強化するため各種施策を展開。通信網の早期復旧のため、携帯大手キャリア各社に移動基地局の増強を指示。役場や避難所などの最低限のインフラを維持するために各電力会社に電源車の確保を要請し、電力復旧に必要な資機材や人員を全国の電力会社間で融通する協定の締結などを促した。
しかし、そうして用意された機材や人員を展開させるためには、結局、現地の被害状況の把握が必須だ。一刻を争う災害時だからこそ、限られた資源を最も効果的に投入するためにどこに何を投入するのかを決めなければならないからだ。震災以降、2016年4月の熊本地震や昨年7月の西日本豪雨では、やはり停電や通信の途絶が断続的に起こり、またしても行政による被害状況の把握が課題になっていた。