トヨタ、ダイキン、朝日新聞…企業を衰退に追いこむ側近政治の実態
積極的なM&Aでグローバル経営を推進し、空調ビジネスで世界トップに躍り出たダイキン工業。増収増益が続いて業績は絶好調で株式市場の評価も高いが、その経営の内実を知る人ほど、先行きを不安視する人も多い。その理由は、昨年6月29日付で十河政則秘書室長(取締役兼専務執行役員)が社長に抜擢されたからだ。
ダイキンが好業績を維持している大きな要因は、1994年に社長就任後、不採算事業のリストラなどで強烈なリーダーシップを発揮し、現在も会長を務めている井上礼之氏の経営手腕が挙げられるだろう。十河氏が社長に昇格した人事でも、岡野幸義現社長が相談役に退き、井上氏は引き続き会長職にとどまった。オーナー企業でもないのに、18年以上もトップを務めるケースはまれだ。
井上氏の「指名」で新社長に選ばれた十河氏は73年の入社以来、工場や営業など事業部門の経験がほとんどなく、本社で秘書や人事を中心に歩んできた。メーカーで働きながら、技術、生産、営業といった現場を知らないトップというのは珍しいキャリアだ。
「独裁者の井上会長は気難しい人なので、なかなかお眼鏡にかなう人がいない。しかし、高齢なので後継者を探さないといけないが、周りを見渡すと、自分を長年支えてくれた秘書しかいなかったということではないか」(ダイキン役員OB)との指摘もある。
井上氏の「独裁」が続くのには不運な面もある。02年に満を持して後継者に選んだ同志社大学の後輩で「一の子分」と言われた北井啓之社長(当時)が、腎臓を患い、わずか2年で退任し、苦肉の策として役員を退任するはずだった高齢の岡野氏を社長に引き上げた経緯があるからだ。ただ、経営者の大きな仕事のひとつは、次の経営者を選ぶことでもある。北井氏が退いて約8年が経過しており、その間、井上氏の後継者育成が十分だったかと言えば、そうではないようにも映る。
トヨタが立証した「名参謀、名経営者にあらず」
秘書出身者を社長に登用した企業は、その時は業績が好調でも、急に勢いが落ちていくケースが多々ある。
例えば、トヨタ自動車前社長の渡辺捷昭氏は経営トップの秘書出身である。渡辺氏は秘書以外では総務や経営企画といった本社スタッフの経験しかなく、常務になって初めて工場勤務をしたキャリアだった。トヨタでは「名参謀」として知られ、長期ビジョンなどを作成させれば天下一品の実力で存在感を示してきた。
しかし、渡辺氏はリーマンショック前から北米での在庫が膨らんで「黄信号」がともっていたのに、ブレーキを踏まず、自分の代に業績が落ちることを極度に恐れた。トヨタでは95年に社長に就任した奥田碩氏が海外事業を強化して拡大路線を取り、それが成功してトヨタは2兆円を超える利益を出したが、渡辺氏が社長に就任した05年頃には、兵站は伸び切り、品質管理も甘くなり、拡大路線を軌道修正する局面にあった。渡辺氏は、その決断ができなかった。軌道修正が遅れたために、トヨタの傷は深まり、経営の「低空飛行」は今でも続いている。
プロ野球界では「名選手、名監督にあらず」という格言があるが、トヨタの渡辺氏の場合は「名参謀、名経営者にあらず」といったところだろう。
三菱自動車でも、90年代前半にレジャー用車ブームで先鞭をつけ業績を拡大し、「天皇」と言われた中村裕一社長(当時)も後継者選びで失敗した。
95年、「本命」と見られていた実力者の常務ではなく、経営企画を担当していた子飼いで側近の無名常務を社長に抜擢したが、その常務は社長の重圧に耐えられず、数カ月で体調を崩し、入社式にも出られず、わずか1年で社長を退任した。「社長の器」ではなかったということであろう。
その頃から三菱自動車では米国でのセクハラ事件、総会屋への利益供与など不祥事が相次ぎ、極め付きはリコール隠し事件だった。社長もころころと替わり、業績は落ち込む一方で、今でもその「後遺症」に悩んでいる。三菱商事や三菱東京UFJ銀行、三菱重工業など「三菱村」が経営を支えて、なんとか生き延びているのが現状だ。
「ポチ」を後継者に据え、院政を敷いた東電、みずほ
東京電力でも、社長・会長を務めた実力者の勝俣恒久氏が「院政」を敷きやすいように、自分より能力が低い清水正孝氏を後任の社長に選んだように映る。清水氏は福島原発事故の対応ではなんらトップとして責務を果たせず、いつの間にか消えていなくなった。
システム障害をしばしば起こすために、金融庁や世間から厳しい目で見られているみずほフィナンシャルグループも、統合の母体となった旧富士銀行、旧日本興業銀行、旧第一勧業銀行出身の3トップが後進に道をなかなか譲らず、トップに居座り続け、顧問に退いた後も「院政」を敷きやすいように自分の「ポチ」を後継者に選んだ。その挙げ句、震災時にもシステム障害を起こしたことで、銀行の持つ「公共性」という使命を果たせなかった。
日経、朝日は、「実力のない」元記者が役員にずらり
朝日新聞社でも「社長秘書役」が出世コースとなっており、役員待遇以上の顔ぶれを見ると、この役職を経験した人がかなりいる。日経新聞でも元社長の秘書が役員の中にいる。大手マスコミの中には、記者として編集者としてマネージャーとして実力もないのに、なぜか経営者に食い込み、実力とは不相応の地位にいる人材が少なからずいる。そうした人材は経営者が交代しても、また次の経営者に食い込んで要職に就く。マスコミ経営が苦しいのは、広告や部数の落ち込みといった外的要因だけではなく、こうした人材の選抜方法にも原因があるのではないか。
秘書や企画といった部署は、社長の「側近部隊」であり、社内調整が任務だ。言ってしまえば、トップが判断するためのデータ探し、資料づくりが主な仕事であり、自身で大きなリスクを取って判断するケースは少ない。事業という「真剣勝負」の場でのぎりぎりの攻防戦を経験していないが、粉骨砕身で尽くしてくれるから、トップからすれば「ういやつ」となる。だから一定のところまで出世するのはわかるが、それが社長となるとやり過ぎだ。
さらに言えば、調整役として長けたこうした人物を自分の後任社長に据えるという意味は、経営者が自分の周囲にいる人しか評価できなくなっているということではないか。ゴマすり人間や、自分を超えない人材を選ぶということにほかならない。そして、側近は自分を引き上げてくれた「ボス」のやったことを、なかなか否定しづらい。それが前例踏襲につながり、企業が環境の変化に対応していく力を低下させることにつながっていると、筆者は感じる。
中国の王朝でも、王の側近として使える「宦官」が権勢を振るい、国政を乱したケースは多い。側近が跋扈する企業とは、「宦官経営」にほかならない。
(文=井上久男/経済ジャーナリスト)
※後編へ続く