『ウエストサイド物語』の背後にある人種問題
『ロミオとジュリエット』に話を戻します。純粋に愛し合う若い2人が、大人たちの思惑によって引き裂かれてしまうというテーマに強い興味を持つ作曲家は多く、思いつくだけでも、チャイコフスキー、ベルリオーズ、プロコフィエフ、グノーのような大作曲家たちがこぞって作曲し、そのほとんどが名作として世界中の音楽好きの心を惹きつけてやみません。
そんななか、アメリカの世界的指揮者であり作曲家のレナード・バーンスタインは、1957年に『ロミオとジュリエット』のアメリカ版ともいえるミュージカル『ウエストサイド物語』を作曲しました。これは当時、世界中で大ヒットとなり、その後は映画にもなったので、ご覧になった方々も多いと思いでしょう。日本でも、劇団四季がたびたび公演を行っています。
『ウエストサイド物語』の舞台は、ニューヨークのウエストサイド。今もなお、治安が良いとはいえない場所です。そこで敵対している2つの少年グループの男女が恋に落ちたのです。女性の名前はマリア、男性はトニー。この名前だけでピンと来た方は、かなりのアメリカ通といえます。マリアはヒスパニック系に多い名前で、実際にプエルトリコからの移民です。トニーはポーランド系の移民です。
当時、ヒスパニック系もポーランド系も移民は低所得で、犯罪に走ってしまう人たちも多かったのです。そんな2つの不良少年グループが、縄張り争いのためにいがみ合っており、最終的に殺人事件まで起こしてしまいます。『ウエストサイド物語』は、単なる悲恋がテーマなのではなく、当時の人種間の社会問題まで踏み込んでいたため、大きな反響があったのです。
一般的にアメリカの人種問題といえば、まずは白人と黒人を思い浮かべると思いますが、白人でも黒人でもないマイノリティにこそ、アメリカの人種問題の根深さがあります。場所によって違いがありますが、僕が居たロサンゼルスなどは、ヒスパニック系が人口の半分を占めています。僕がロサンゼルスに住み始めたころ、オーケストラの事務局員にこう言われました。
「ヤスオ、“ヒスパニック”と呼んではダメだよ。ヒスパニックは“スペイン語を話す人”という意味があるけれど、ボリビア人の多数などはスペイン系ではないからね。“ラティーノ”と呼びなさい」
さらに、こうも言われました。
「“インディアン”もダメだよ。“ネイティブ・アメリカン”と呼ばないといけない。もちろん“ブラック”なんて言ったら絶対にダメ。“アフリカン・アメリカン”と呼びなさい」
ちなみに、日系人など東洋系の人たちは“アジア系アメリカ人”です。「じゃあ、白人はなんて呼べばいい?」と尋ねたら、「うーん……。白人は“ホワイト”のままだね」という答えでした。
あるコンサートで、僕はデンマークの作曲家・ニールセンの『アラジン』を指揮することになりました。アラビアンナイトとアラジンの物語を、1曲ずつ音楽にしてあるのですが、そのなかの1曲に『ネグロダンス』という作品がありました。ネグロとは“肌の黒い人”という意味があり、ネグロダンスとは黒人のダンスです。これには、アメリカのオーケストラ事務局は頭を抱えました。
「白人」とは言ってもいいのに、「黒人」は差別になるのです。しかし、その音楽は素晴らしいので、カットはしたくありません。苦肉の策として、『アフリカン・ダンス』と名前を変えて演奏することにしました。そんなことがあったとは知らない観客は、大喜びでした。
(文=篠崎靖男/指揮者)