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三浦展「繁華街の昔を歩く」

調布は理想的郊外住宅地4位だった…著名人たちの別荘地、想像できない上流階級の生活ぶり

文=三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表
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 戦後だが、武者小路実篤が1955年から76年まで、晩年の20年間を過ごしている。かつての武者小路邸(現:実篤公園)の隣接地には武者小路実篤記念館が1985年に開館しており、調布の戦前の別荘地の雰囲気を少し味わうことができる。

調布は理想的郊外住宅地4位だった…著名人たちの別荘地、想像できない上流階級の生活ぶりの画像2
別荘の地図『調布市史』より

4.宿場には遊廓と飯盛旅籠 

 甲州街道は江戸時代に入ってから整備されたが、実は江戸以前にもあったらしい。ただし甲州から府中、調布を経て新宿に至るのではなく、調布の今のつつじが丘から渋谷の円山町に向かっていた。円山町は今はラブホ街だが、戦前に花街ができて賑わっていた。その円山町の真ん中を通っているのが滝坂道。この道がつつじヶ丘の滝坂という坂まで通じているので、その名がついていることは前回書いた。

 甲州街道が新宿方向に整備されると、飯盛女を抱えた旅籠ができた。飯盛女は本来は旅籠で食事を給仕するのだが、売春をするようになった女性であり、幕府も宿場の振興策として旅籠一軒あたり2人の飯盛女を抱えることを認めた。府中に飯盛り女を抱えた旅籠が初めてできたのは1777年のことであったが、調布にできたのは幕末の1865年以降のことだという。おそらく八王子方面などの織物が輸出品として盛んになり、国内需要も増し、甲州街道を行き交う商人の数が増えたのであろう。

 調布の宿場町には飯盛り旅籠が7軒ほど、貸座敷(遊廓)が30軒近く、芸者置屋が20軒、芸者が14人、遊女が82人存在するほどになったのである。

調布は理想的郊外住宅地4位だった…著名人たちの別荘地、想像できない上流階級の生活ぶりの画像3
遊廓があった街の歴史が今もある

(文=三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表)

参考文献

『調布市史』

三井住友トラスト不動産「写真でひもとく街のなりたち」

三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表

三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表

82年 一橋大学社会学部卒業。(株)パルコ入社。マーケティング情報誌『アクロス』編集室勤務。
86年 同誌編集長。
90年 三菱総合研究所入社。
99年 「カルチャースタディーズ研究所」設立。
消費社会、家族、若者、階層、都市などの研究を踏まえ、新しい時代を予測し、社会デザインを提案している。
著書に、80万部のベストセラー『下流社会』のほか、主著として『第四の消費』『家族と幸福の戦後史』『ファスト風土化する日本』がある。
その他、近著として『データでわかる2030年の日本』『日本人はこれから何を買うのか?』『東京は郊外から消えていく!』『富裕層の財布』『日本の地価が3分の1になる!』『東京郊外の生存競争が始まった』『中高年シングルが日本を動かす』など多数。
カルチャースタディーズ研究所

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