6月22日に乳がんによって亡くなった小林麻央さんの闘病が、社会に与えた衝撃や影響は計り知れない。現代の医療のあり方にさえ一石を投じたのではないだろうか。特に、人生の終焉を、自宅で愛する家族や大切な人たちと過ごすという選択は、本人はもちろん家族にとっても勇気ある選択であったに違いない。
これまで日本の医療のあり方は、「延命」に重きが置かれていた。しかしながら、回復の見込みが低くなったときに、どこまで医療行為を続けるかということを、個人が考える時代に来ているのかもしれない。これからの医療は、「終末期医療」のあり方について論じていく必要があるだろう。
小林麻央さんが闘病の様子をブログで発信したことで、多くの人が「命」や「死」について考えるきっかけとなったことは間違いない。現代は少子高齢化が進み、核家族化や一人暮らし、夫婦のみの高齢者世帯の増加も著しい。
その結果、本来であれば、個人が社会的関係性を育むべき場所である「家族・家庭」という存在が希薄になっている。古き日本の社会では、家族の「誕生・成長・死」といった命の営みに触れ、人生観や死生観を自然と考えるような背景があった。しかし、現代では家族の深いかかわりが薄くなる傾向にあり、「死」について考える機会が少ないといえるだろう。このような社会状況のなかで、小林麻央さんが自身の人生をもって人々に与えた影響は大きく、尊敬の念を抱かずにはいられない。
あらためて考えるべき「DNR」
終末医療を考えるうえで、家族や大切な人たちと話し合わなければいけないことのひとつに、「DNR」がある。DNRとは「do not resuscitate」の略で、「蘇生措置拒否」と訳される。この言葉が誕生してから40年経過しており、アメリカでは1991年にAMA(アメリカ医師会)が「DNRに関するガイドライン」を発表するなど、検討が進んでいる。
一方、日本では、DNRは倫理的・法的諸問題解決に課題が多く、その論議はアメリカより20年ほど遅れている。では、具体的に「DNR」と何か――。