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榎本博明「人と社会の役に立つ心理学」

「仕事で自己実現、成長していこう」を掲げる会社が社員を壊す

文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士

 仕事をするのは生活の糧を得るためだとはいっても、誰もが給料を得るためだけに働いているわけではなく、充実感や成長感を実感するために働いている部分もあるだろう。困難な仕事をがんばって成し遂げたときの達成感や爽快感がなんともいえないという人もいる。

 金や地位を得るために働くというのと、充実感や成長感、達成感を得るために働くというのでは、ずいぶんと様相が違ってくる。金や地位を得るための仕事は、結局は金や地位を得るための単なる手段であり、仕方なくやっているといった感じになりやすい。それでは仕事が楽しいという感じにはなりにくい。

 仕事を楽しいと感じるには、内発的動機づけが有効である。仕事をしているときの充実感が何にも代え難い報酬である。仕事に必死になって取り組むことで自分の成長が感じられるのが、最大の報酬である。ひと仕事終えたときの達成感や爽快感がなんともいえない。そんなふうに感じることができれば、仕事そのものを楽しめるようになる。

 このように心理学の理論では、仕事を楽しむには内発的動機づけを意識することが大切と考えられている。

教育系の仕事にありがちなトリック

 前回は飲食店などにありがちな「お客さまの笑顔を引き出す」「お客さまに満足していただく」を合い言葉にしてやりがいを強調し、低賃金で酷使する手口を紹介した。ここでは心理学理論を悪用した代表的な例として、教育系の仕事にありがちなトリックを紹介したい。

 学習塾でアルバイトしている学生から、あまりの待遇の悪さに納得いかないといった文句を聞かされることがある。

 たとえば、求人広告には時給2000円とか3000円となっており、非常に条件がよいと思って応募したところ、給料は授業時間について支払われるだけで、授業の準備をしたりする時間や試験問題を作成したり採点したりする時間は、まったくのただ働きになるのだという。さらには、生徒やその保護者への対応に費やす時間についても、なんの手当もないという。それで文句を言ったところ、

「教育というのは、生徒の自己実現を支援する、やりがいのある仕事です。そう思いませんか」
「できるようになるというのは、生徒にとって何よりもうれしいことだし、多少給料が低くても、やりがいの追求という内発的動機づけで働くことが私たち教育者にとって大きな喜びのはずです」
「それに、人のために働くという尊い行為の中で、あなたも自己実現に向かっていくのではないでしょうか」

などと言われ、それ以上要求できなかったというのだ。

 なんだか騙されているみたいな感じがしたものの、目の前の生徒のことを考えると、ただ働きになるからといって準備や対応で手抜きをするわけにもいかない。それに、実際生徒たちができるようになって喜んでいる姿をみると、こちらも嬉しくなり、やりがいを感じるのも事実なので、なんとなく納得してしまった、という。
 
 だが、どうにも割が合わないといって辞めた者もいる。

 このような教育系の仕事の割の合わなさは、学生バイトに限らない。たとえば、大学等の非常勤講師も、賃金は授業時間分しか支払われない。だが、実際の労働時間は授業時間の数倍から十数倍になったりする。

 授業の準備に何時間も費やすのはよくあることだ。授業の後も、学生の質問に答えたり、ときに教室の外に場所を移して相談に乗ることもある。定期試験の作成や採点はいうまでもなく、毎時間のように実施する小テストの作問や採点、毎回授業の最後に課す小レポートの採点などもあり、それらに数十時間かかっても、一切賃金は発生しない。

 ただ働きになるからといって、質問や相談に来る学生を追い払うことは教育者としてできない。無償で大量の小レポートを毎週読んで採点するのはバカらしいとはいえ、授業時間ごとの小レポートの教育効果を考えると、やはり廃止したくない。こうして、企業でいえばサービス残業や仕事の持ち帰りに相当する労働時間が、賃金発生の基準となる正規の労働時間の何倍にもなるのが普通なのである。

 それでも、学生の成長のために働くことの意義ややりがいを意識すると、不満を感じる自分がちっぽけな人間に思えてくる。

 このようにして、内発的動機づけの素晴らしさを意識させられることで、外発的動機づけにこだわるのは卑しいことのように感じさせるトリックにはまっていくのである。

 報酬体系が急に改善されることは期待できない。だが、やりがいだけあっても収入が少なく、人並みの生活ができないというのでは、いずれ心身に歪みが出てくる。このようなトリックについて知っておくことが、不当な酷使から身を守るための最大の武器となるだろう。

 仕事にやりがいを感じ、内発的動機づけによって働くことで仕事が楽しくなるのは事実である。だが、そもそも誰もが生活の糧を得るために働くのであり、仕事量や仕事時間に見合った金銭報酬が得られることが、まずは基本的な条件であるはずだ。そこはしっかりと意識しておきたい。
(文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士)

榎本博明/心理学博士、MP人間科学研究所代表

榎本博明/心理学博士、MP人間科学研究所代表

心理学博士。1955年東京生まれ。東京大学教育心理学科卒。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。川村短期大学講師、カリフォルニア大学客員教授、大阪大学大学院助教授等を経て、MP人間科学研究所代表。心理学をベースにした執筆、企業研修・教育講演等を行う。著書に『「やりたい仕事」病』『薄っぺらいのに自信満々な人』『かかわると面倒くさい人』『伸びる子どもは○○がすごい』『読書をする子は○○がすごい』『勉強できる子は○○がすごい』(以上、日経プレミアシリーズ)、『モチベーションの新法則』『仕事で使える心理学』『心を強くするストレスマネジメント』(以上、日経文庫)、『他人を引きずりおろすのに必死な人』(SB新書)、『「上から目線」の構造<完全版>』(日経ビジネス人文庫)、『「おもてなし」という残酷社会』『思考停止という病理』(平凡社新書)など多数。
MP人間科学研究所 E-mail:mphuman@ae.auone-net.jp

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