次に投稿を「賛否両論」になる程度に収めること。炎上を狙うのは自由だが、知名度が高まってから「賛同者も生まれる」状態にしなくてはならない。炎上を商売の一部とみなす方は、そのあんばいを上手にコントロールしている。
たとえば賛否両論であっても賛同3割:批判7割の意見は、見た人間の3割がファンになってくれる。しかし賛同がほぼ得られない意見は、表明するだけ損となる。
冒頭のせんとくんは「見ているとジワジワくる」「既存の価値観にとらわれないから好きだ」というファンが増えたことで、今の地位を確立した。せんとくんと同じくらい愛されなければ、炎上商法ではなく「ただの炎上」になってしまう。
最後に炎上商法の目的を定めることだ。たとえばせんとくんには、「奈良県を観光地の候補に加える」明確な目標があった。そのため批判を浴びても「奈良県のファンを増やす」という目的へこだわり、成果を出した。トランプは「大統領候補として庶民から支持を得る」目的があった。だからこそ庶民がテレビでぼやくようなヤジをSNSへ載せ、知識層から大バッシングを浴びながらも大統領として当選した。
しかし、これらの目的がないならば、炎上商法はただの損である。炎上してまで得たいものがないならば、炎上商法などする意味がない。
炎上の定義もユルくなっている
近年「炎上商法だ」とバッシングされる方々は、炎上に見合わない損失を負ってしまっているか、そもそも目的が「有名になりたい」など“ふわっ”としたものであることが多い。果たしてその炎上は実利に見合っているのか、考えたうえで戦略は選ばれるべきだろう。
そして最後に、「炎上」の定義が時代とともに変わっていることにも触れておきたい。私がインターネットに触れた2000年代前半、炎上といえば「家に嫌がらせが入る」「デモが起きて商品が発売禁止になる」レベルの影響を及ぼすものについて触れられることが多かった(参考:まっちゃん事件、2000年)。したがって一度炎上すれば炎は長く消えず、個人のキャリアや社史に禍根を残すような重度のトラブルを指す言葉でもあった。
しかし、今はより気軽に「炎上」という言葉が使われ、消費されていく。たいした批判の数でもないのに「あの人炎上したよ」と言われ、1度炎上したところでその期間は長くもって数日だ。だから炎上は誰にでも起きる言葉になり、かつ、すぐ忘れられる。
これを読んでいるあなたが、いつか炎上しても、それを思い出してほしい。わざわざ炎上商法をすることは一切勧めないが、あなたがたとえうっかり炎上しても、それは数日で収まる。追加で燃料さえ投入しなければ、追い詰められるほどのことでもないのだと。
(文=トイアンナ/ライター、性暴力防止団体「サバイバーズ・リソース」理事)