夫の位牌なし、墓なし…介護施設にひとり残された妻は、“制度の狭間”に取り残された
周囲の誰もが、妻の“グリーフ”に無関心
グリーフケアという言葉がある。死別や別れなど、喪失によって悲嘆(グリーフ)が生じるが、その「悲しむ作業」をグリーフワーク、その悲嘆に寄り添い回復に向けてサポートすることをグリーフケアというのだ。グリーフケアの方法には、特に決まりがあるわけではない。通夜や葬儀といった儀式、法要等の通過儀礼を通じて一つひとつステップを踏んでいく人もいれば、知らず知らずのうちに回復していく人もいる。
そう、実は葬儀や法要など一連の葬送儀礼は、この悲嘆に向き合うためのステップでもあるのだ。故人と縁のある人が集まり、互いに語り合うことで死を現実のものとして受け止め向き合うことができるようになる。故人の御霊が宿る位牌やお墓に向かって手を合わせたり語りかけたりしながら、悲嘆のプロセスを通過する人もいるだろう。
実際に位牌をつくったりお墓を建てたりするかどうかは別として、少なくとも信子さんが深いグリーフに陥り、グリーフプロセスの過程にあることは、施設側にとっても共有しておかなければいけない事実なのだ。施設のスタッフが福祉の専門職であるなら、「死の悲しみは自然に癒えるだろう」などとあいまいにしておくものではないのである。
長年連れ添った夫婦でありながら、その夫の亡き後も、施設での信子さんの日常は何も変わらない。夫がいなくなって一人寂しく家で過ごすわけでもなく、いつもと同じ介護施設のスタッフが毎日同じ時刻に起こし、トイレ誘導や食事介助をしてくれる。誰も信子さんのグリーフには関心がないようにさえ感じる。そのような日常生活の中で信子さんは、「夫の葬儀をちゃんとしてもらえなかった」「新盆もできなかった」等、不満を何度も繰り返し漏らすようになっていく。そして、次第に施設のスタッフだけでなく甥や親戚にも相手にしてもらえなくなっていった。
葬送・供養の「制度の狭間」
医療・介護・福祉と葬送・供養の業界は、「生」と「死」で制度も業界も分断されている。双方がお互いに理解をしようとするベースがないために、「どのように弔ったらよいのかわからない」という供養難民がいたるところで発生している。現代の社会福祉では、「制度の狭間」となっている領域にいかに対応していくか、が喫緊の課題となっている。しかし、実は葬送・供養の「制度の狭間」については、課題としてさえも認識されていない。夫の葬儀にかかわった業者も、施設入居中の信子さんとのかかわり方をまったく考えていない様子なのだ。
「施設に入居中だから、連絡するのは悪いと思ったんです。葬儀は簡単に済ませる、位牌やお墓は必要なし、と甥御さんがおっしゃるので、それ以上は特におすすめはしていません」
これが、葬儀社の認識だった。
夫の亡き後、結局「新盆」も「一周忌法要」もなく一年を経過してしまった信子さん。位牌はまだないが、形見の品として時計と眼鏡だけは居室に置いてある。「どのように弔ったらよいか」という課題は、まだ解決していない。
(文=吉川美津子)
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