5月21日、政府は湯川遥菜氏、後藤健二氏がイスラム過激派組織「イスラム国(ISIL)」によって殺害された事件について、「邦人殺害テロ事件の対応に関する検証委員会」の検証報告書を発表した。
同報告書の中で、「政府としては、人命第一の立場で、両名を解放するために何が最も効果的な方法かとの観点から検討した結果、ISILと直接接触することではなく、ヨルダンをはじめとする関係国と緊密に連携し、あらゆるルート・チャンネルを活用し、最大限努力することとした」と述べ、政府がISILとの直接交渉を“ただの一度も”行っていなかったことを明らかにした。
直接交渉を行わなかった理由として、「何が最も効果的な方法かとの観点から検討した」としているが、その内容は明確ではない。はたして、政府の対応は適切だったのだろうか。
まず、政府が明らかにしている事件の概要を時系列で見ておこう。
2014年
8月16日 湯川氏が行方不明になったとの情報がもたらされ、外務省が事案を認知した。
11月1日 後藤氏が行方不明になっているとの連絡を家族から受け、政府が対応を開始した。
12月3日 後藤氏の夫人宛てに犯行グループからメールによる接触があったことを把握した。
12月19日 後藤氏の夫人へのメールによって、後藤氏が確かに拘束されているとの心証を持つに至った。
15年
1月20日 ISILによって発出されたとみられる動画を確認した。
1月24日 湯川氏が殺害されたとみられる写真を持つ、後藤氏とみられる人物の映像とメッセージがインターネット上に配信された。
2月1日 後藤氏とみられる人物が殺害される映像が、ネット上に配信された。
後手に回る政府の対応
では、時系列で政府の報告書の内容を見てみよう。
政府は湯川氏について、14年8月16日にシリアで何者かに拘束されたのではないかとの情報がもたらされるまで、同氏がシリアに渡航していた事実を把握していなかった。
後藤氏については、外務省が9月下旬および10月上旬に電話で、10月中旬には直接、シリアへの渡航をやめるように働きかけていた。しかし、シリアに行かないという確約を得ることはできなかった。
11月1日に後藤氏が行方不明になっているとの連絡を家族から受け、政府は後藤氏の行方不明を把握した。政府は、この期間を通じて、犯行の主体などについて、断定するには至らなかった。
12月3日、政府は後藤氏の夫人宛てに犯行グループからメールによる接触があったことを把握した。そして、そのメールによって、後藤氏が確かに拘束されているとの心証を持つに至った。