社会的にもここ数年で、恒例行事としてすっかり定着したハロウィン。それは山口組にあっても同様であった。
8年ほど前、筆者の現役時代にはすでに、ハロウィン当日、神戸市灘区にある六代目山口組総本部では近隣住民の子どもたちにお菓子が配られていた。
近年では、ヤクザ全体を反社会的勢力と定義し、その最大勢力といわれる山口組組員から、お菓子をもらうのは不適切な行為であるとする声が大きくなってきた。だが、必ずしも現場がそういう声に包まれていたかといえば、そうではない。ハロウィンが近づくと、近隣住民の主婦が総本部までわざわざやってきて、「お菓子はいつ配るの?」と尋ねるということは、今でもあるようだ。
「六代目山口組サイドからすれば、そうした声が実際にある以上、世論の声云々ではなく、楽しみにしている子どもたちのために、お菓子を配り続けるという姿勢だったのではないでしょうか」(ヤクザ 事情に詳しいジャーナリスト)
実際、山口組組員らにも、お菓子を配ることに関しては、ちょっとした悲喜交々があった。
毎年、ハロウィン当日に子どもたちへお菓子を配るのは、六代目山口組の幹部や慶弔委員の親分衆ほか、総本部へと部屋住みに入っている組員など。加えて、ガレージ当番と呼ばれる、二次団体による持ち回り制の当番についている組員らも手伝うことになるのだ。
ガレージ当番とは、総本部へと出入りする車両の出し入れの誘導や総本部の駐車場内の交通整理の役目を主とするのだが、これは全国の二次団体によって、24時間体制で行われていた。筆者自身、時に責任者として、時に当番の1人として、幾度となくこの任についてきた。
ガレージ当番の業務は、車両の出入りが激しい平日と、車両の出入りがほとんどない土日祝日では多忙さが極端に違う。特に行事ごと、例えば月に一度開催されていた定例会などと重なれば、朝から走り回ることになった。その慌ただしさは、ハロウィン当日にガレージ当番にあたる組員らにとっても同様だったのだ。
筆者は今でも、ハロウィンになると思い出す言葉がある。それはある年の阪神ブロックの若頭会でのこと。著者の所属する二次団体の若頭が社会不在を余儀なくされていたため、筆者が代理でその会合にたびたび出席していた。その際に談笑の中で、目前に迫っていたハロウィンに話題が向いた。すると当時、六代目山口組の二次団体で若頭を務めていた幹部がこう話し出したのだ。
「ウチは2年連続、ハロウィンの日にガレージ当番に当たってるから大変やったで。子どもたちがやってきて『トリック・オア・トリート』と言うてきたら、『ハッピーハロウィン』て言いながらお菓子を渡したらなあかんのや。そんなんワシら初めて知ったがな」
言葉とは裏腹に、そう話す若頭の顔は笑みが溢れていたのだった。筆者は毎年、ハロウィンになるとその若頭の言葉を思い出す。子ども相手のお菓子配りは慣れないことであるし、それに付随する業務も増えるが、組員たちにとっては、代えがたい喜びややり甲斐があったのだろう。
そうした行事も、今年は10月11日に六代目山口組総本部が使用制限を受けたため、開催されなかった。毎年お菓子が配られていたハロウィン当日の総本部前には、警察車両が横付けされ、付近の警戒にあたる警察官の姿しかなかった。その光景は現在の世論、つまりヤクザを反社会的勢力と位置づけ、弾圧し続ける社会の縮図といえるのかもしれない。世論の声や時代の流れを鑑みれば、なるべくしてなったといえるだろう。しかし、そうした光景に一抹の寂しさを覚えるのは、筆者だけだろうか。
またひとつ、地域に根ざしていた祭りの灯が消えたように思えてならない。
(文=沖田臥竜/作家)