エコの過激派には「確かにエコになることは素晴らしいけれど、いきなりプラスチックを全部やめようなんて無理だよね」という中庸な考えは通用しない。ましてや私のように料理が面倒だからとお惣菜(プラスチック容器付き)を買う人間など、悪の枢軸に見えるだろう。
ところが、エコ過激派が増えると「過激派に辟易するあまりに、エコが嫌いになる人」が出てきてしまう。それがアンチエコだ。
アンチエコの目的は、エコロジストを挑発することだ。小泉進次郎氏は、国連気候行動サミットの最中に牛肉のステーキを食べた。しかし、これは小泉氏が環境相という立場の割にはあまりに無知で、牛肉がCO2を大量に排出していることすら知らなかったせいだろう。これは、アンチエコではない。ただの愚鈍だ。
アンチエコは必要もないのに冷暖房を全力でかけ、二酸化炭素を多く輩出する牛肉を選び、プラスチックの皿を毎食使って捨てる。牛肉は高いし、電気代はかさむからアンチエコ活動にはお金もかかるのだが、「あえてアンチエコを」やる。ただ怠惰なだけの私には、そこまでの気力もない。
が、どんなにアンチエコへ躍起になっても地球が温暖化している事実は変わらない。そこでやけになって温暖化に協力するのは、借金返済をストレスに感じたあまり、高いフレンチを食べに行くようなものだ。もう少し現実的になってもいい。
どちらにも乗せられず「中庸」を
確かに現在のプラスチックごみは、海洋汚染をはじめとする多数の問題を孕んでいる。しかし、だからといってプラスチックを全廃するなど極端な行動の変化は、ムーブメントにはなっても定着しないものだ。
一般市民としては「お、プラ以外の食器もあるじゃん。今日はこっちにしよう」くらいの態度で削減を始めればいい。エコの過激化は周りへ環境保全を押し付け、むしろアンチエコを生みかねない。
逆に、わざわざ反発して牛肉を食べることもない。鶏肉だって美味しいし、何より価格がリーズナブルだ。肉を減らして野菜を増やすのは、海洋汚染以前に自分の健康にもよさそうだ。中庸のまま、できることから始めよう。誰かの扇動に乗るだけでは、視界は曇る。自分ができる範囲で、やりたいと思えるレベルから行動を始めよう。すべてはそれからだ。
(文=トイアンナ/ライター)