日米貿易協定が2020年1月1日に発効される。これにより、米国産の安い牛肉が今まで以上に輸入されるようになるため、日本の畜産農家への影響が危惧されている。
日本政府は農家に対して支援する旨を発表しているが、それも機能するかどうかはわからない。和牛の消滅の可能性や日本における牛肉の今後について、『食の戦争 米国の罠に落ちる日本』(文藝春秋)の著者で東京大学大学院農学生命科学研究科の鈴木宣弘教授に聞いた。
実際は「米国だけがウィン」の貿易協定
「日米双方にウィンウィンの内容」と日本政府は強調しているが、同協定の中身について、鈴木氏は「米国のウィンだけ」と厳しく指摘する。特に痛手なのが、牛肉などの農畜産物だ。まずは、今回の協定の概要を抑えておこう。
「今回の協定を一言で表すならば、『自動車のために農畜産を差し出した』となるでしょう。しかも、その自動車の交渉も後退したといえます。TPP交渉の際、米国は自動車の関税を長い時間をかけて撤廃すると約束しましたが、今回の協定で撤廃はせず、さらに現在2.5%の自動車の輸出関税(乗用車)を“25%まで引き上げる”と脅してきました。日本はそれを避けるために“自動車以外のことはすべて受け入れます”という交渉をしてしまったのです」(鈴木氏)
いわば日本は約束を反故にされたわけだが、それは自動車だけにとどまらない。牛肉に関しても、米国はTPPでは日本からの輸出牛肉の枠を現状の200トンから拡大し、15年後はその枠と関税を撤廃、将来的な完全自由化を約束していた。しかし、それも反故にされたのだ。
「実質的には、わずかな枠の拡大(200トンを少し超えても枠内扱いが可能になる程度)にとどまり、かつ関税は撤廃されません。TPPで合意していた米国の牛肉関税撤廃はなくなりました。政府は『日本からの牛肉輸出をTPP以上に勝ち取った』と言っていますが、完全な嘘です」(同)
低関税の米国産牛肉が無限に輸入される?
日本が輸出を大きく拡大できるわけではないのに対して、米国の牛肉は無限に輸入されることもあり得るという。
「日本は米国の牛肉関税を38.5%から9%まで削減する上、牛肉の低関税が適用される限度(セーフガード)数量は、米国向けに新たに24.2万トンに設定しました。さらに、枠を超過して高関税への切り換えが発動されたら、それに合わせて枠を増やし、高関税が発動されないようにする約束もしています」(同)
これでは米国の牛肉が無限に低関税で輸入可能ということになり、セーフガードは意味をなさなくなる。そのため、関税が下がった分だけ米国産牛肉の価格が安くなり、今まで以上に市場に出回ることが予想されるのだ。
「関税率から単純に計算すると、仮に、今まで138.5円だった輸入牛肉が109円に値下がりするということです。それに対して、高級和牛は影響を受けないかというとそうではない。これまでのデータを見ると、輸入牛肉が1円下がると和牛も約1円下がっているんです。つまり、和牛も並行的に価格が下がることが予想されます」(同)
消費者にとっては喜ばしいことのようにも感じるが、米国産の牛肉は安全性に問題があるという。鈴木氏が特に危惧するのは、成長ホルモンの投与だ。
「米国では、成長ホルモンのエストロゲンが牛に注入されています。エストロゲンは自然に体内で生成される成分ですが、ある調査によると、自然状態の600倍の数値が検出されました。エストロゲンは乳がんとの関係性が強いといわれています。日本国内では使用禁止ですが、輸入牛には認められています」(同)
さらに、ラクトパミンという成長促進剤も米国の牛には使用されている。こちらは、発がん性だけでなく、めまいなどの危険性があるといわれ、EUだけでなく中国やロシアでも、生産に使うことはおろか輸入牛にも禁止している。
「ラクトパミンは日本国内では使えなくなっていますが、輸入牛に関してはエストロゲン同様にザルです。米国産牛肉は、そのような点で安全性に問題があります。EUで米国産牛肉の禁輸後の7年で、多い国では乳がんの死亡率が45%減っているという論文があるほどです」(同)
こうしたリスクもある米国産牛肉の輸入が、協定発効後はさらに増えることが避けられない。消費者はどんな行動を取るべきなのか。
「自己防衛するしかないです。『安くなってよかったなぁ』なんて言って飛びついているうちに、がんがどんどん増えるかもしれない。そのときに、あわてて安心安全な国産牛肉を買おうと思っても、このままでは畜産農家が激減して、選ぶことができないかもしれません。自分や家族の命を守るために、国内で安全安心な農作物をつくっている生産者を見つけて、買い支えていくべきでしょう」(同)
和牛を消滅させるのはアメリカではなく、安さに飛びつく日本国民なのかもしれない。
(文=沼澤典史/清談社)