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江川紹子の「事件ウオッチ」第57回

自白を強要した捜査当局、無実の訴えを否定した弁護士…再審開始決定が出た【松橋事件】とは

文=江川紹子/ジャーナリスト
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被告人の無実の訴えを否定した国選弁護人

 ただ、本件で原審裁判所が「自白」を信じてしまった背景には、裁判が始まった当初、宮田さんが「自白」を維持していたという事情があったことも、指摘しておかなければならない。

 宮田さんは初公判で、起訴事実を概ね認めている。第4回公判になって、犯行の状況について「はっきり記憶にない」と延べ、第5回公判で明確な否認に転じた。それには、次のような経緯があった。

 当初の国選弁護人だったT弁護士は、裁判が始まる前に2回しか宮田さんに接見していない。しかも、2回目は初公判を翌週の月曜日に控えた週末だった。宮田さんによれば、その際「否認して争いたい」と述べたが、すでに起訴事実を認めて情状酌量を訴える方針を固めていたT弁護士は、「無罪で争うのは困難。それを了解できないのであれば、私選弁護人を頼むように」と応じた。「金銭的にも時間的にも余裕がなかったので、やむを得ず認めてしまった」と、宮田さんは述べている。

 初公判で、T弁護士は起訴事実を前提に、飲酒による心神耗弱の主張をした。

 日本弁護士連合会の問い合わせに対して、T弁護士は「弁護人として全面否認でいくのが正しいとは思えないので、そうするのであれば別に私選弁護人を依頼し、その弁護人に最初から説明をやり直したほうが良いと述べたと思う」と回答しており、経緯は宮田さんの説明と符合する。

 被告人が無実を訴えても、それを弁護人が聞き入れない。絶望した被告人は、裁判でも起訴事実を認めてしまう。これは、足利事件で菅家利和さんや氷見事件での柳原浩さんなど、ほかの冤罪被害者の経験とよく似ている。

 松橋事件の裁判官は、なんら強制をしていないのに被告人が自分の目の前で有罪を認めたことが強く印象づけられ、その後の無実の訴えには、ほとんど耳を貸さなかったのではないか。それを考えると、弁護人が役割をきちんと果たさなかった影響は極めて大きく、冤罪を招いた一因ではないか。T弁護士が辞任した後の弁護人は無実を争って証拠開示も求めているし、また再審開始決定は、本件に取り組む弁護士たちの誠実な努力の成果といえるが、T弁護士の対応が及ぼした影響については、きちんと検証されなければならない。

 宮田さんはすでに83歳。認知症を患っているという。一日も早く、再審でさまざまな事実が公開の場で示されることを望む。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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