山口宇部空港からJR草江駅まで歩いてみた…利便性低いが古きよき宇部線のクモハ123系
【註:本記事の内容は、2019年に取材されたものです。】
中国地方には現在1県に1つ以上の空港があるが、1970~80年代には、利便性が高いとはとてもいえないような状況だった。日本海側の山陰地方は、1954年に米子空港が、1957年に鳥取空港が、1966年に出雲空港が開港したが、いずれも当初は滑走路が1200mと短く(いずれも1970年代に1500m、1990年代に2000mに延長または新設)、大型機の就航は不可能だった。
より深刻だったのは瀬戸内海側の山陽地方で、滑走路が1200mだった旧岡山空港(現・岡南飛行場)は、山などの障害物があり延伸は難しかった。結局、現在の岡山空港が1988年に開港するまで、ジェット機の就航は不可能な状況だったのだ。
旧広島空港(現・広島ヘリポート)も1972年に滑走路を1200mから1800mに延伸したものの、それ以上の拡張は難しかった。着陸時に市街地上空を旋回する必要があるなどアプローチに難があり、住宅地に近いことから騒音問題も頻発するも、1993年に現在の広島空港へ実質的な移転をするまでは、紆余曲折があった。
中国地方の西端に位置する山口県からは、北九州空港も十分アクセス圏内だったが、こちらも2006年までの旧空港は滑走路が1500~1600mと短く、中大型ジェット機の就航は不可能だった。米軍と自衛隊の滑走路を活用した岩国飛行場も、民間機の定期便が復活するのは2012年まで待たなければならなかった。
そんな使い勝手のよくない空港が多い中国地方の中で、1970~80年代に唯一存在感を示していたのが山口宇部空港だ(当初は「県営宇部空港」)。1979年に滑走路を2000m化。早々に東京・羽田便にジェット機が使用されている。
だが、現在では山口宇部空港はかなり微妙なポジションに立たされている。県庁所在地で、人口では県2位の山口市からは直線距離で約33kmなのだが、人口1位の下関市からは北九州空港のほうが圧倒的に近い(そもそも両空港間の直線距離が約25kmと非常に近い)。
人口3位の宇部市はともかく、4位の周南市からは岩国飛行場とほぼ同じ距離。5位の岩国市は完全に岩国飛行場の圏内だ。かつては県どころか中国地方を代表する空港であった山口宇部空港だが、現在では山口県内の一部地域のニーズを担うのみとなっているのが現状なのである。
それにもかかわらず、東京・羽田便が日本航空、全日空、スターフライヤーのトリプルトラックによる1日10往復と、かなり健闘している(2020年7月現在、運休便もあり)。2003年以降、山陽新幹線が新山口駅と徳山駅に「のぞみ」を停車させてから、利用者数が減少していたが、スターフライヤーが就航した2014年頃から再び回復に転じた。宇部市には宇部興産などの大企業も存在しており、堅調なビジネス需要が支えているといえそうだ。
今回は山口宇部空港から、JR宇部線の草江駅までのレポートをお送りする。歩いたのは2019年初夏である。
利用者のニーズが多い空港はたいてい、建設時あるいは後付けで駅が併設される。ほとんどが大都市のアクセス空港で、羽田・成田・伊丹・関西・神戸・中部・福岡・新千歳・仙台・那覇の各空港がそれにあたる。
余談だが、上記とは違った形で空港駅が作られたのが宮崎空港だ。創業地である宮崎県北部の延岡市に多くの工場群を抱える化学メーカーの旭化成は、東京や大阪へ出張する社員のため、延岡工場と宮崎空港を結ぶヘリコプターによる社内定期便を運行していた。
しかし1990年9月、台風の影響でそのヘリコプターが墜落し、10名が死亡する惨事が発生する。旭化成はヘリ便を廃止する一方、延岡と宮崎空港を結ぶ日豊本線と日南線の高速化と、空港アクセスの向上をJR九州と宮崎県に要望。旭化成が3億円弱の費用を負担し、高速化は1994年に完了。アクセス駅も1996年に開業したという経緯がある。
さて、一方でニーズの少ない空港は、バスによるアクセスが主流だ。ゆえにそうした空港には近くに駅がないので、空港から最寄り駅まで歩いてみる……というのがこの連載の主旨なわけだが、山口宇部空港はその例外にあたる。なんと山口宇部空港からは直線距離で400mほどの距離に、JR草江駅があるのだ。これで「歩いてみた」といっては読者からお叱りを受けそうな近さなのだが、こればかりは仕方ない。
山口宇部空港からJR草江駅まで、400mを歩いてみた
空港から近距離にあるといっても、この草江駅は空港建設時にないし後付けで作られた駅ではない。草江駅が停留所として開業したのは1923年、駅に昇格したのは1943年。1966年に開港した空港よりはるか前から存在する。つまり、駅の近くにたまたま空港ができたわけである。
しかし、長らく草江駅は、時刻表やパンフレットで山口宇部空港の「最寄り駅」としては案内されず、アクセス駅として機能していなかった。現在では一応、空港のホームページに「徒歩7分」との記載があり、駅の時刻表も掲載されているが、草江駅の2018年の1日平均乗車人数は95人で、年間でいえば3万4675人。一方の山口宇部空港の年間利用者数は102万2386人。つまり、山口宇部空港へのアクセスに鉄道を利用する人は極めて少ないといっていいだろう。
山口宇部空港のターミナルは1階にチェックインカウンターが並び、2階にショップやレストラン、3階にラウンジと展望デッキのある、地方空港らしいオーソドックスな造りだ。
最近、自動車が展示されている空港が増えている。羽田空港にあるメルセデス・ベンツの情報発信拠点「Mercedes me Tokyo HANEDA」などが有名だが、山口宇部空港でも2010年からマツダが常設展示を行っている。マツダといえば広島の企業だが、山口県にも本社工場に次ぐ規模の防府工場(山口県防府市)があるため、山口の製品であることをアピールする狙いがあるのだろう。
ターミナルの外に出てみると、バラの咲いた庭園があった。約180品種、1000株ほどが植栽されている。まったく予備知識なしで見つけたのだが、どうやら見頃は5月中旬から下旬。偶然にもちょうどいい時期に来ることができたようだ。
ターミナルを背に右方向に進むと、「ふれあい公園」という広々とした芝生のスペースが広がっている。ただただ一面に芝生が広がる空間で、遊具などはないが、ボール遊びなどは存分に楽しめそうだ。
左手に曲がり、空港の入り口にさしかかると、もう踏切が見えてきた。100mほど進み、踏切を渡ったところが草江駅だ。徒歩7分とのことだったが、5分ほどで着いてしまった。距離が距離なので仕方ないのだが、ふれあい公園以外にまったく見所がないルートだった。
JR草江駅は無人駅で改札もなく、券売機も存在しない。交通系ICカードも対応範囲外だ。単式1面1線の極めてシンプルなホームと、雨がしのげる小さな駅舎があるだけだ。
123系、昭和の香りを色濃く残す電車
さて、それなりに利便性が高いにもかかわらず草江駅がアクセス駅として利用されない理由は、航空便と列車のダイヤが連携していないこと、宇部線が利用しづらい路線であることが背景にある。
もともと宇部線は、沿線に宇部興産やセントラル硝子、小野田セメント(現・太平洋セメント)などの大工場が並び、石炭や石灰石などの貨物輸送が中心だった。現在は通勤や通学需要を中心とした旅客輸送を行っているが、利用者は少なく、BRT(バス・ラピッド・トランジット)への転換も検討されている。
現在の宇部線は典型的なローカル線で、特に日中は閑散としている。朝夕は1時間に2本の列車が来る時間帯もあるが、日中は1~2時間に1本のペースとなっている。電化されているものの、全線が単線で線形も悪く、スピードが出ない。
宇部市の中心駅である宇部新川駅から新山口駅へは、いったん宇部駅へ戻ってから山陽本線で宇部新川駅へ向かうルートが最も早く、乗り換えを含めて約40分(営業キロ31.4km)。路線バスでも42分ほど。一方で宇部線では50分以上かかる(営業キロ27.1km)。そう、宇部線はバスより遅いのだ。
空港から新山口駅も、リムジンバスなら30分。宇部線では徒歩に加え、草江駅から40分前後かかる。さらに飛行機と電車のダイヤが連携していないから、かなりの待ち時間が発生する。料金はバスが910円、宇部線が420円と分があるものの、利便性では明らかに劣る。
実際に宇部線に乗ってみると、確かに遅い。駅間が短いし、車両交換の時間も長い。4駅10分と近い宇部新川駅までの区間なら利点はあるが、そこから先は乗り換えが必要な場合も多いので、やはりバスのほうが……となってしまう。
あえてこのルートをおすすめするのであれば、よほどの鉄道好きか、極限まで費用を節約したい人ということになるだろうか。105系とともに運用されている123系(クモハ123系)は現在、宇部線と小野田線でしか使用されていない。昭和の香りを色濃く残す電車に乗ってみるのも一興である。
(文=渡瀬基樹)