(「Wikipedia」より/TTTNIS)
午前11時から約1時間の式典は、「万歳」の声が大きく響きわたった後、終了した。
なぜ、4月28日が主権回復の日になるのか。
何度も報じられていることだが、簡単に説明しておく。1952年にサンフランシスコ講和条約が発効したことで、日本=本土は主権回復を果たした。「独立の日」ともいわれたのはそのためだ。しかし、「我が国は主権を回復して初めて独立したわけではない」という意見を聞くと、奇妙な気もする。
つまりは、安倍総理が6年前に目指した「美しい国」への道筋の布石を打ったということになるのだろうか。安倍総理は、講和条約で日本は4つの決議をしたと述べた。そのひとつが、「領土の公正なる解決。経済の自立」である。
アベノミクスと領土問題は安倍政権の看板であり、重要事案だ。式典を「4.28」にした理由のひとつが垣間見える。さらには、占領軍に押し付けられた憲法を改正し、「真の独立を果たす」という意味も込められていたのだろう。
しかし、沖縄選出の議員は、こう不満を漏らした。
「なぜ、よりによって4月28日にしたのか。この日は、小笠原や奄美と一緒に、沖縄県民が国という親から切り離された日です。さらに、米軍統治下で辛酸を舐めた県民が耐えかねて沖縄県祖国復帰協議会を結成した日でもある。安倍総理は繰り返し、沖縄や奄美の苦難に触れたが、本当に理解してもらっているとは思えない」
奄美、小笠原諸島が本土復帰したのは、それぞれ1953年と68年。沖縄が1972年5月15日だ。主権回復の式典を「5.15」にやるべきという声も出たが、それでは北方領土はどうなるのかという話にもなる。「建国記念日の2.11にやるのが摩擦も避けられるし、良かったのではないでしょうか。こうして注目を浴びれば浴びるほど、基地問題の解決も遠くなっていくのですが……」と、前出の沖縄の議員は遠い目をした。
沖縄では、保守系議員といえども、「基地の県外移設」を主張しなければ、選挙に勝ちにくい。事実、自民党沖縄県連会長は県外移設を強く主張している。大方の自民党議員は、オスプレイ配備にも明確に反対を示す。その点で、本土の自民党議員とは意識も事情も乖離していると言えよう。
政府式典と同時刻、沖縄では大規模な反対集会が開かれていた。大田昌秀・稲嶺恵一両元知事は、当然のごとく「屈辱の日に式典をするなど何事か」と抗議していた。仲井眞弘多沖縄県知事も政府式典には欠席している。
「これほどの大事にならなければ、仲井眞知事も辺野古の埋め立てに関してすでに判を押していたかもしれない。そうでなければ、街の真ん中にある普天間を修復して使い続けることになる。結果として、安倍さんが、知事を追いつめ、状況を悪化させたようなものです」(沖縄県県議)
●「竹島の日」では韓国から非難
自民党は、政府主催の式典開催をもうひとつ公約にしていた。2月22日に行われる予定だった、「竹島の日」だ。
だがその頃は、竹島問題で日韓関係が日に日に悪化していた上に、大統領選でセヌリ党の朴槿恵が韓国史上初の女性大統領に選出。就任式が、3日後の2月25日となったため、「政府主催」を見送ったという経緯がある。代わりに、政府からは島尻安伊子内閣府政務官を出席させたが、韓国からは非難の声明が出た。それでも外務官僚は余裕だった。
「韓国側と話はついていました。額賀(福志郎・元財務大臣)さんが特使として韓国に派遣されましたが、その時に、『政府主催は見送るが、島尻派遣で容認してくれ』と根回しをしてあった。来年は大臣クラスの派遣になるでしょうし、その翌年は『政府主催』での開催の可能性が出て来たということです」