昨年の秋、日本海で「由々しき問題」(自民党防衛族議員)が起きていた。その問題とは、来航理由が明らかになっていない北朝鮮の公船が日本の排他的経済水域(EEZ)に突如現れ、安全確保を図る必要があるとして、日本政府が漁業者に特定海域で操業自粛を求めたこと。片や中国漁船が好き勝手に違法操業しているなか、漁業者のフラストレーションが溜まるのは想像に難くない。なぜ政府は自粛を求めたのか。土下座外交とも受け取れる政府のだらしなさが問題の本質にある。
まずは事案の概要を簡単に振り返る。昨年9月29日午前8時ごろ、のちに北公船と判明する謎の船が日本のEEZに位置する大和堆に侵入しているのを水産庁漁業取締船が確認。公船は周辺海域をしばらくの間航行していたとみられ、漁業者への自粛要請は約1カ月という長期間続き、10月28日から段階的に解除された
大和堆はスルメイカ、ベニズワイガニ、サバなどの好漁場。近年は北朝鮮や中国の漁船の違法操業が問題になっている。水産庁が昨年1~9月に退去警告を行った外国漁船は延べ2587隻(前年同期は2890隻)。全体の隻数は減っているが、実態は深刻だ。昨年9月時点に退去警告を受けた北朝鮮漁船は1隻(同2164隻)だったのに対し、中国漁船ははるかに多い2586隻(同726隻)に上った。木造の粗末な北漁船とは異なり、ものによっては1000トン規模に達する中国漁船はスルメイカなどを大量漁獲しているとされる。
公船が来航した理由について、外交政策に明るい与党議員は「北朝鮮から漁業権を買っている中国の漁船が安全に操業できるよう公船が護衛しているのでは」と解説する。中国は日本海に面していないので、本来はこの海域で漁業をできない。また、北朝鮮から漁業権を買うことは国連決議違反に当たる。
大型船が乱獲していることもあってか、資源量も悪化し、日本の漁獲量も低迷している。そこに操業自粛というファクターも加わり、漁業関係者からは「経営が苦しくなる」と悲鳴が上がる。
北朝鮮へ「抗議」ではなく「申し入れ」
「軟弱外交の極み」「漁業者が安心して操業できる秩序をつくって」「海洋権益が守れなくて何が水産業の成長化だ!」。10月21日に開かれた自民党水産部会に馳せ参じた漁業団体幹部の怒りの矛先は水産庁、外務省、海上保安庁といった関係省庁に向けられた。
出席した北陸地方選出議員は「まったく理解できない。厳しくやらないと効果が出ない」と語気を強め、別の議員は「水産部会のレベルの話ではない。外交部会も巻き込まないといけない」と厳しく指摘した。
この場で初めて政府から、操業自粛を要請した理由が北公船が出現したことだったことが明らかにされた。加藤勝信官房長官は同じ日に官邸で開かれた記者会見で、「北朝鮮に対しわが国の立場を申し入れした」と説明。なぜ抗議という言葉を使わず、「申し入れ」なのか。意味合いがわからない。一説によると、北朝鮮に日本の立場を伝達した手段は「北京の北朝鮮大使館にファクスを送った」(自民党議員)という信じられない噂が流れている。これでは北朝鮮に足元を見られるだけだ。
日本政府がなぜ強硬姿勢を取らないのか。ある関係者は相手の機嫌ばかりうかがう内閣官房や外務省の存在を挙げ、「公船と漁船がぶつかって問題になることを怖がっている」と理由を明かす。確かに公船の乗組員は武器を所持している危険性はあるが、日本の漁船ではなく、「どかすべきは北朝鮮公船」というのが普通の考え方ではないだろうか。問題になる前に漁業者を見捨て、事後処理は水産庁に丸投げ。与党水産族議員は「いっそのこと公船と漁船が衝突してしまえばいいんだよ。そうしたら外交問題になって官邸も動かざるを得ない」と本気で語る。
「海保はなめてる」
監視を行う立場の海上保安庁も今ひとつやる気が感じられない。「海保はなめてる」。昨年11月に開かれた外交部会で海保が示した資料に怒り心頭の議員もいた。大和堆周辺海域の取組状況と題したペーパーには、直近に起きている問題ではなく、19年に北の高速艇が水産庁取締船に接近したことや、北漁船と取締船が衝突した事案への言及に終始している。
中国漁船が違法に水産物を乱獲していることにも政府は具体的なアクションを起こしていない。昨年、国立研究開発法人の水産研究・教育機構(水研機構)は中国が日本海で水揚げしたスルメイカは年間15万トンという推計を初公表。中国の違法操業の実態を世間に示した点は評価できる。
ただ、実際のところ15万トン以上取っているとの見方もあり、日本の漁業者があまりにも不憫だ。大和堆で問題が発生して以降、取締船が安全を徹底した上で操業しているとされているが、本当の意味での問題解決とはほど遠い。
やはり北朝鮮を包囲すべく国際的な世論形成に動くと同時に、尖閣問題からもわかるように海洋国家を目指している中国に対し、違法漁船の問題について膝詰めで話し合ってはどうだろうか。北朝鮮とは国交もないのでまともな対話はできないだろうが、中国とはさまざまなチャンネルがあるはずだ。テレビ会議などの手段もあるため、コロナは言い訳としては通用しない。
このまま無策であり続ければ、今年の秋もまた昨年と同じようなことが起きるだけだ。漁業者のためにもそれだけは避けてほしい。
(文=編集部)