各メディアが競って取り上げた任侠山口組の織田絆誠代表襲撃事件--。その波紋が広がっている。
9月12日、織田代表が乗る車両が襲撃され、ボディーガードを務めた男性が射殺された兵庫県神戸市長田区の事件現場は、事件後すぐに警察当局によって規制線が張られ、翌日の午後まで騒然とした状態に包まれていた。
著者も事件現場へと向かったが、警察関係者や詰めかける報道関係者で、事件現場に面した山手幹線は一種、異様な光景に包まれていた。至るところで警察車両の赤灯が回り、テレビ局のカメラがスタンバイされ、規制線の張られていない路地へと進めば、報道関係者が事件を目撃した地域住民らから話を聞いている。
だが、その異様な光景が展開されたのは、事件現場だけではなかった。兵庫県尼崎市でも射殺事件の波紋は広がっていたのだ。その理由は、尼崎に本拠を置く任侠山口組系四代目真鍋組にあった。射殺事件後に任侠山口組幹部らが続々と真鍋組本部に集まってきていたのだ。
関係者らの話によれば、幹部たちは事件を聞いて、織田代表の安否が心配になって集まってきたのではないかといわれているのだが、その影響で真鍋組本部前も、複数の警察車両が一車線を塞ぎ、報道陣まで駆けつける事態に発展した。捜査関係者によれば、そのために近隣住民から多数の苦情が寄せられているという。
この現象は、発足当初に、同じく尼崎にある任侠山口組内古川組で結成式や定例会を開催したときに、あたり一帯が混乱し、住民から苦情が殺到した状態と酷似している。それでも任侠山口組が尼崎市内を拠点とし、この地にこだわる裏側には何かあるのだろうか。結成から約5カ月がたとうとしているが、いまだ定例会は尼崎市内以外で開かれてはいない。
事件現場に手向けられた花束
話を神戸市長田区の事件現場に戻そう。
襲撃に使用された黒のセダンは、翌日の13日に警察当局によって現場から引き上げられた。この事件の痕跡が消えたことと入れ替わるように、現場には故人となった男性に花束が手向けられており、その花束には「絆」の一字が添えられていた。
「絆」は、織田絆誠代表の名前の一文字だ。捜査関係者らは、任侠山口組サイドが供えた花束ではないかとみているようだ。
「任侠山口組の是非は別として、亡くなった組員は立派にヤクザとしての務めを果たされた。身体を張って親方を守り抜いたのだ。これ以上の功績はほかにない」と、ある業界関係者は語っている。任侠山口組の発足理由や、ここまでの運営方法に理解を示すことはできない。しかし、身体を賭けて織田代表を守り抜いた男性に対しては、ヤクザとしての最大の賛辞を贈りたいという気持ちなのだ。それがヤクザの美学というものなのだろう。
同時に業界関係者の間では、こういった声も上がっている。
「抗争で一人でも射殺して逮捕されれば、その人間は生きてシャバの土を踏むことは、まずできないだろう。それを承知で命(たま)を取りに向かっている。どれだけ法でヤクザをがんじがらめにしても、今回の発砲事件の加害者のようにサムライは存在する。法律がどんなに変わっても、『舐められたらいけない』というヤクザの矜持は変わらない。これ以上、事態を悪化させないためにも、任侠山口組は記者会見などをして相手方を挑発するような行為は避けるべきではないか」
法律でどれだけヤクザの生活やそのシノギを封じこめても、「やる時はやる」というヤクザ独自の理論は変わりようがないことを、この関係者は語っているのだ。
もちろん、社会はそれを許容しないだろうが、今回の事件の裏側には、こうしたさまざまなヤクザ同士の人間模様が錯綜しているのだ。現在のところ、任侠山口組が報復に出るのではないかという噂は流れておらず、静かに時は進んでいる。このまま、一般市民はもちろん誰ひとり危害を受けることなく、平穏を取り戻すことを祈りたい。
(文=沖田臥竜/作家)
●沖田臥竜(おきた・がりょう)
2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、『山口組分裂「六神抗」』365日の全内幕』(宝島社)などに寄稿。以降、テレビ、雑誌などで、山口組関連や反社会的勢力が関係したニュースなどのコメンテーターとして解説することも多い。著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任侠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)など。最新刊は、元山口組顧問弁護士・山之内幸夫氏との共著『山口組の「光と影」』(サイゾー)。