情報隠蔽説
第2に、ナポレオン敗北の情報をネイサンが隠蔽したという説はどうか。ネイサンが独自の密使を使い、情報をいち早く入手したのは事実である。ナポレオンが敗北した6月18日の深夜にブリュッセルで発行された新聞の遅番を、中継で運ばせたのだ(野口英明『世界金融 本当の正体』<サイゾー>)。
しかしネイサンはこの情報を隠したわけではない。作家デリク・ウィルソンはこう書く。
「何にしても、ネイサンが情報を得たとき、まず頭に浮かんだのは、当然、すぐにこの重大ニュースを首相に知らせなければ、ということで、もはや夜も更けていたのだが、彼はダウニング街に急ぐ。ところが現れた執事の言うには、リヴァプール卿(=ロバート・ジェンキンソン首相)はすでにお休みになっていて、お邪魔はできないとのこと。(20日の)朝になってロスチャイルドが伝言を届けても、卿は公式情報に反するとして信じなかった」(『ロスチャイルド』上巻<本橋たまき訳、新潮文庫)>)
ネイサンは手に入れた情報をただちに政府に伝えたのであり、隠蔽したというのは誤りである。
ロスチャイルド一族も人間である
第3に、ネイサンがたった1日の債券取引で莫大な利益を稼いだという点である。たしかにネイサンは英国債の売買で多額の儲けを出し、金価格下落の損失を埋め合わせた。しかしそれはわずか1日で成し遂げられたものではない。
ファーガソンによれば、1815年7月20日、ロンドンの「クーリエ」紙夕刊は、ネイサンが多額のイギリス国債を購入したと報じた。ネイサンは、イギリスのワーテルローにおける勝利と、それに伴う政府借入金の減少によって、イギリス国債の価格が高騰することに賭けた。ネイサンはさらに国債を購入し、コンソル公債(永久公債)が読んだとおりに値上がりすると、さらに買い続けた。
兄弟たちはその国債を売り抜けて儲けるよう口説いたが、ネイサンはさらに1年間、辛抱強く保有した。そして1817年の末、債券市場が40%あまり値上がりした時点で手放した。経済成長やインフレによる英ポンドの購買力の変遷を考慮に入れると、彼が手にした利益は、現代の価値に換算して6億ポンドに相当するという。