また読売新聞電子版に掲載されている『ものしり百科2』も、「大相撲が国技と呼ばれるのは?」との問いに、同様の説明をしたうえで、こう書いている。
「『国技』を、その国で発祥し歴史が古く伝統文化とも深く結びついているという観点から捉えると、『柔道』や『空手』『なぎ刀』『剣道』なども『国技』と称するに値するでしょう。(中略)一方『国技』を、いま現在、国民の間で人気が高く競技人口も観戦者も多いスポーツと考えると、『野球』や『サッカー』は『国技』に該当するスポーツということになりますね」
そうした経緯や言葉の多義性を無視し、相撲のみを「国技」として神聖視する発想は、ナショナリズムと結びつくと、外国出身力士を差別するような排外主義に行きやすいのではないか。
それは、今回の事件で突発的に起きた現象ではない。今年3月の春場所で、立ち会いに変化を見せたモンゴル出身の大関・照ノ富士に対し、場内からブーイングが起こり、その中には「モンゴルに帰れ」という、明らかに差別的な野次もあった。ところが、日本相撲協会は「事実確認ができない」などとして、対応を取ろうとしなかった。
どんな競技にも、差別や排外主義が入り込む余地はある。問題は、そうした現象が起きた時に、どう対応するかだ。
相撲協会と対照的なのが、サッカー界だ。2014年3月に浦和レッズのサポーターがスタンドのゲート入り口に「JAPANESE ONLY」(日本人以外お断り)の横断幕を掲げた。それを放置していたクラブ側の責任も問われ、Jリーグ始まって以来の無観客試合の制裁が科された。
その後も、たとえば横浜マリノスのサポーターが人種差別的な行為に及んだ際には、Jリーグは同クラブに制裁金を課し、クラブはそのサポーターを無期限入場禁止処分にした。また、今年11月浦和レッズの選手のSNSに人種差別的な書き込みがなされた際には、同クラブはホームページで「私たちは、私たちのファミリーである選手をいかなる差別からも守ります」と宣言し、差別撲滅の取り組みを推進していくことを約束した。
相撲協会はなぜ、このような「差別は絶対に許さない」という毅然とした態度を取らないのだろうか。暴力にも反応が鈍い同協会は、差別にもまた無頓着すぎる。差別を放置しておくことは、差別に加担することにほかならない。
同協会は、今月20日には一連の問題の最終報告をまとめるという。関係者への処分もなされるのだろうが、協会自身の対応の鈍さも自覚してほしい。角界の体質を改めていく対策は、まず協会自身が次のような宣言をするところから始めるべきだ。
「私たちは、日本相撲協会に所属する力士をいかなる暴力からも、差別からも守ります」
(文=江川紹子/ジャーナリスト)