「キム氏は日ごろは黒子に徹しているが、有能な実務官僚であり、外交経験も豊富で、欧米など西側の事情にも通じている。今回の韓国訪問で、与正氏がどのような言動を取れば好感度がアップするかも熟知しており、南北首脳会談実現に向けての北朝鮮外交における影の主役と言っても過言ではない」(同)
与正氏や金永南氏、さらにキム氏らを操り人形のように動かしたのが金正恩氏であるのは論を待たない。北朝鮮を訪問した青瓦台の鄭義溶・大統領府国家安保室長をはじめとする韓国特使団によれば、金正恩氏の印象は「率直で大胆」なものだった。特使団は金正恩氏が「体制の安全を保障してもらえるのなら、核を保有する理由がない」と非核化への意志を明かすなど、慎重にアプローチすると見られた問題について、率直で明確な立場を表明した点に強い印象を受けたという。
北朝鮮は一党独裁体制であり、最高指導者である金正恩氏の権限は絶大であり、同氏が決断しないことには何事も動かないシステム。半面、同氏が決断すれば、すべてスムーズに流れる。南北首脳会談や米朝首脳会談を決断したのも同氏であるのは明らか。
北朝鮮のしたたかな計算
では、「率直で大胆」な決断をした金正恩氏に勝算はあるのか。同氏はトランプ米大統領が求める非核化を実行する気はないだろう。常識的に考えれば、金日成主席の代から、これまで数十年にわたって行ってきた核開発を止める気はさらさらないはずだ。
しかし、北朝鮮の非核化の条件として、朝鮮半島全体の非核化をトランプ氏に迫ることはできる。拒否されれば、北朝鮮の非核化も断る口実にはなる。米政府は在韓米軍の撤退に同意することはアジアへの影響力がなくなることに通じるだけに、絶対同意することはないからだ。
そうわかりながら交渉を引き延ばして、時間を稼ぐことはできるし、その間、対北経済支援を求めることもできる。さらに厳しい経済制裁も中止するよう求めることもできる。こう考えると、北朝鮮にとっては交渉することによって失うものは、ほとんどないのである。今回の南北首脳会談や米朝首脳会談については、金正恩氏のしたたかな計算が働いているといってよい。
一方、日本にとって北朝鮮の融和姿勢が奏功すれば、危うい立場に追い込まれるのは間違いない。安倍政権は北朝鮮への圧力を強化するよう主張してきたからだ。ただ、南北首脳会談や米朝首脳会談が行われるといっても、これまで厳しい対北姿勢を覆すのは外交上、下策であり、一貫してぶれない姿勢を見せることで北朝鮮を牽制することができる。
日本政府にとって、対北朝鮮外交の最大の狙いは拉致被害者の日本帰還である。北朝鮮もそれは十分知っているはずであり、経済支援狙いのカードとして、拉致被害者の帰還をほのめかすことも十分考えられることから、日本政府は従来の態度を変えずに、相手の変化を見据えて、交渉のチャンスを待つという姿勢が重要なのではないか。
(文=相馬勝/ジャーナリスト)