奇妙な石塔の詳細
さて、ダラゴン氏が魅了された石塔とはいったいどのようなものなのだろうか?
まず、石塔が分布するのは、カムと呼ばれる地域で、具体的には、四川省成都(チェンドゥ)の西に位置するチャンタン(チャン族が暮らす理県、ブン川県、茂県)、 ギャロン(カンゼ・チベット族自治州のギャロン語圏)、 ミニヤ(九竜県を含むカンゼ・チベット族自治州の雅ロウ江沿い)、そして、チベット自治区の南東部で、拉薩(ラサ)の北東に位置するコンポ地区(コンボギャムダ県およびニンティ市)の4地域である。標高1500~4000メートルほどの山々の斜面に存在する。
いずれも現地まで車で行けるような舗装路は存在しない辺境にある。夏は多雨による土砂崩れ、冬は豪雪や雪崩があり、アクセスに極めて困難を伴う。だが、そんな辺境の地は、山岳地帯のなかでも比較的温暖で、麦やトウモロコシなどの農作物が豊かに実る。それが理由で、人々はその地で長く暮らしてきたと思われるが、彼らは石塔が立ち並ぶなか、農業による自給自足の慎ましい生活を送っている。
農業という点においては、山岳地帯における聖域とも思われる場所であるが、なぜ人々は足場の悪い山の斜面に通常の住宅の用途を超えた建造物、すなわち、背の高い石塔を建てたのだろうか? 高いもので50メートルほどに及ぶ石塔が数百基もあるのだ。
しかも、石塔の構造は決して単純なものではない。多くの石塔には縦に筋が入っており、断面の形状は星形になっている。地域によっていくらかバリエーションがあるものの、代表的な断面形状は、正方形と45度ずらしたそれを重ね合わせた形となっている。つまり、90度に張り出した角が8カ所あることになる。シンプルな円形や四角形などとは異なり、部分的に壁の厚みが変化することもあり、その建造には手間がかかったことが窺われる。
使用された石は、特別に加工されたものではなく、わずかな粘土質の泥をセメント代わりに利用して、互い違いに巧く積み上げられている。それぞれの石塔は、上に向かうにつれて先細りしているが、未加工の石材を使用しているにもかかわらず、極めて正確な点対称構造を維持し、美しいシルエットを描いている。かなりの技術である。
なお、チベット南東部で発見された石塔の断面は、奇しくも南米ボリビアにあるプレ・インカ期のプマ・プンク遺跡で発見された精巧なレリーフ模様と酷似していることも興味深い。