刑法第134条には「医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6カ月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する」と記されている。
「伝えられているところだと、学長以下での議論では、母親の情報を伝えるという方針だったのが、理事長の意向でやはり伝えられないと覆ったということですね。順天堂のスタッフに聞くと、理事長に権限が集中しているというのは間違いないです。教授や学長の“上”にいる存在なので、その人に裁量権が集中しているのでしょう。
ただ理事長の鶴の一声で覆ったかというと、学長だって個人情報保護の原則は知っているはずです。ここからは推測ですが、相手側(本当のお赤さん)にアプローチして、上手く対面する方向にむかっていたけど、それが破談になってしまったというの実情ではないでしょうか。52歳の息子さんのお母さんだとすると、若くても70代後半くらいです。その年齢でいきなり『本当の息子』が現れても、人生50年、取り違えられたお子さんを本当の息子さんだと思って生きてきて、いきなり違うと言われても、すんなり状況を受け入れることはできないでしょう。既にお孫さんもいる可能性もあります。それまでの人生を否定しなければいけない事実を70代後半で知りたいかというと、知らないという選択肢をとる人も多いでしょう。
病院側は、いきなりそのお母さんに『あなたの息子さんは本当の子どもではない』とは言えないので、極めてデリケートなアプローチをしているはずです。それがどこかで壁に突き当たって跳ね返されたということではないでしょうか。もともとは病院の過失ではあるけれど、そのお母さんの過失ではないし、むしろ被害者でもあるわけだから、そちらの気持ちも尊重せざるを得ないでしょう」
順天堂によれば、この問題についてはさまざまな考え方があり得ると思料し、専門家の意見も参考にして結論を出したとのことだ。
「ちなみに順天堂医院のスタッフに聞いたところ、今回のことで現場への影響はまったくないようです。『どうなっているの?』と患者さんに聞かれるくらいとのことです。取り違えの再発防止についてはほぼ万全だし、本当に上層部だけで動いていた一件ということです」
「親の情報を開示すること」を命じる法律がない
法的な立場からは、弁護士法人ALG&Associates執行役員・弁護士の山岸純氏から以下の回答を得た。
【山岸氏のコメント】
日本において、「新生児取り違え」に関し、取り違えられた「子ども(被害者)」が病院に対し損害賠償請求訴訟を提起した事例はいくつかありますが、これまで、取り違えられた「子ども(被害者)」が病院に対し実の親の情報の開示を請求して訴訟になった事例はないようです。直接的な理由は、「親の情報を開示すること」を病院等に命じる内容の法律がないということが挙げられます。
これに対し、ニュージーランドなど一部の外国においては、養子や生殖補助医療で生まれた子どもに実親を知る権利を法律で認めていることもあります。
もっとも、日本ではそうした法制度は存在しないものの、憲法13条で保障されると考えられているプライバシー権に基づき請求することが考えられます。
すなわち、「プライバシー権」とは「自分の情報をコントロールする権利」と解されているところ、実親という自己の出自にかかわる情報の開示を要求する権利も、この「プライバシー権」に含まれていると考えることができます。
もっとも、憲法は国家に対する国民の権利を保障するものであるため、国立病院の場合はともかく、今回の順天堂のような私立病院の場合には、憲法の規定を理由に要求することはできません。そのため、一般的には「人格権」という私法上の権利に基づき請求することになると思われます。
ただし、養子や生殖医療の場合と異なり、取り違えの場合は病院も取り違えられた可能性がある新生児の両親の特定まではできても、実親そのものの特定まではできない場合があると考えられます。
その場合、実親以外の無関係の第三者の出生情報についても取り違えの被害者に開示する必要が出てくるため、こうした第三者とのプライバシーとの衝突の問題も生じてきます。
現に、こうした取り違えの事例で取り違えの「子ども(被害者)」が自らの出生日時に出生した者の戸籍開示を情報公開条例に基づき墨田区に求めた事例がありますが、墨田区は個人情報として公開しない決定をしています(東京地裁平成17年5月27日判決参照)。
こうした事情等も踏まえますと、現状の日本の法制度上は病院に対し、実親と思われる家族の情報公開を求める権利までは認められづらいのではないかと考えられます。
【コメント終わり】
法的な観点からも、いくら生物学上の親であっても、当人の了承なしには息子がその情報を得ることはできないのだ。当人にとっては、なんともやりきれないことだろう。このような不幸が二度と起こらないよう、最善を尽くしてほしい。
(文=深笛義也/ライター)