ビジネスジャーナル > 社会ニュース > 東京都が陥る「ポスト五輪幻想」の罠  > 3ページ目
NEW
ポスト五輪の東京~2020年以降も勝つまち、負けるまち~TOKYO 2020

東京五輪、給与10分の1だった54年前の「輝きを再び」は幻想にすぎない

文=池田利道/東京23区研究所所長

「3種の神器」ともてはやされた3つの家電製品のうち、テレビ(白黒)の普及率は9割近くに達していたが、電気洗濯機は約6割、電気冷蔵庫は4割にも満たなかった。乗用車は庶民にとって、まったくの高嶺の花。それ以上に今と比べて隔世の感があるのは、23区の電話普及率が2割に届いていなかったことだろう。

 下水道の普及率は23区でも4分の1。今どきは、水洗かつ温水洗浄便座でないと用を足せない人が少なくないらしい。そんな人が1964年の東京にタイムスリップしたら、途端に体を壊してしまいそうだ。

 23区の道路舗装率は8割を超えていたが、板橋、練馬の両区は半分が、足立、葛飾、江戸川の東部3区は6割前後が未舗装か砂利道だった。

 ここから浮かび上がってくるのは、まだ貧しい当時の姿だ。その一方で、「がんばりさえすれば、明日は今日より豊かになれる」という思いが世の中に満ちていた。だから経済は発展し、所得も貯金も増え、便利で快適な生活を手に入れていくことができたのだ。

 図表2は、内閣府の「国民生活に関する世論調査」の中から、今後の生活の見通しが「良くなっていく」か「悪くなっていく」かの結果を見たものだ。もっとも古いデータは1968年だが、1964年時点もトレンドに大きな差はなかったと考えていいだろう。明るい明日が来ることを信じて疑わなかった当時と、格差社会が広がるなかで将来の不安に包まれた今日との差がはっきりと表われている。

東京五輪、給与10分の1だった54年前の「輝きを再び」は幻想にすぎないの画像3

 ちょうど前回の東京五輪が開かれた頃、東京ぼん太という芸人が人気を呼んだ。売りは、唐草模様の風呂敷包みを背負ったいでたちと、栃木弁のギャグ。決めゼリフは「夢もチボーもないね」。観客がドッと沸いたのは、誰もが夢と希望にあふれていたから。今なら、さしずめ「そだねー」で終わりだろう。

 そんな時代を背景に開かれた1964年大会の「輝きを再び」と考えるのは、少々無理があるのではないだろうか。
(文=池田利道/東京23区研究所所長)

池田利道/東京23区研究所所長

池田利道/東京23区研究所所長

東京大学都市工学科大学院修士修了。(財)東京都政調査会で東京の都市計画に携わった後、㈱マイカル総合研究所主席研究員として商業主導型まちづくりの企画・事業化に従事。その後、まちづくりコンサルタント会社の主宰を経て現職。
一般社団法人 東京23区研究所

『なぜか惹かれる足立区~東京23区「最下位」からの下剋上~』 治安が悪い、学力が低い、ヤンキーが多い……など、何かとマイナスイメージを持たれやすい足立区。しかし近年は家賃のお手傾感や物価の安さが注目を浴び、「穴場」としてテレビ番組に取り上げられることが多く、再開発の進む北千住は「住みたい街ランキング」の上位に浮上。一体足立に何が起きているのか? 人々は足立のどこに惹かれているのか? 23区研究のパイオニアで、ベストセラーとなった『23区格差』の著者があらゆるデータを用いて徹底分析してみたら、足立に東京の未来を読み解くヒントが隠されていた! amazon_associate_logo.jpg

東京五輪、給与10分の1だった54年前の「輝きを再び」は幻想にすぎないのページです。ビジネスジャーナルは、社会、, , , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!