さらに病院は、岡本メソッドに医療安全上の問題があるという主張も展開したが、具体的な証拠を提出することはできず、これについても認められなかった。病院側のこの指摘は、仮処分申立の審尋のなかで突如として出てきたのである。本当に医療安全上の問題があるのなら、病院としてもっと早い段階で対処しなければならないが、それが行われた形跡もない。岡本医師と代理人弁護士は、この主張は病院側のでっち上げ(ねつ造)に基づいたものであると主張している。
大津地裁の決定に対して、病院は5月31日に保全異議申立を行った。病院側の主張は、岡本医師に裁量権があるとはいえ、それは無限ではなく制限されるべきだというものである。それを前提に、寄附講座における裁量権と、病院経営における裁量権の範囲を次のように主張している。
まず、寄附講座における裁量権については、寄附講座の設置目的の範囲を超えるべきではないと主張する。その設置目的とは、「臨床の現場における小線源治療の施術を行うことそのもの」ではなく、「岡本の実際の施術」や「臨床経験」から「得られた当該患者のデータなどを研究するためのもの」であるという。
この観点から、「(岡本医師は)すでに多数の臨床の現場における小線源治療を実施しており、これらの患者の治療データを大量に取得している」ので、「さらに、臨床現場での小線源治療を実施しなければその研究活動に支障」をきたすことはないと主張する。手術を続けるよりも、「むしろ寄附講座の最終年度の下半期は、これまでの期間に集積したデータを整理分析し、研究成果を論文にまとめるなどの作業の方がむしろ重要である」というのだ。つまり寄附講座は学術研究の場であって、その範囲内で岡本医師の裁量権が認められるという主張である。患者の人命は二次的なもので、学術研究を優先せよと主張しているのだ。それゆえに6月30日をもって、がん患者の手術は打ち切るべきだというのである。
次に病院は、病院経営という観点から岡本医師の裁量権を制限すべきだと主張している。
岡本医師の裁量権を拡大すると、病院が「予期できない大きな損害が生じる可能性がある」という。「具体的には、診療枠、看護師、放射線科医、機材など、物的及び人的資源の確保や、その他、治療体制の見直し、管理体制の構築の負担」などである。つまり病院は、患者の人命よりも、病院経営を優先すべきだと主張しているのだ。
さらに病院は、「寄附講座が更新される際」、「小線源治療は本年6月末日とすることを更新条件」としたから、手術の「実施可能期間」は「設置された条件の範囲内にとどまる」べきだとも主張している。ここでは人命よりも契約を優先しているのだ。
未必の故意
抗告異議申立書を読んだ待機患者で、東京に在住する山口淳さんが言う。
「『未必の故意』という言葉があります。明確な殺意がなくても、救助などを放棄することで、人が死に至るのを傍観することです。病院側の異議申立書を読んで、まさに未必の故意を感じました。私たち患者は命を救ってもらうために遠くからでも来ているのです。高リスクの患者が他のがん治療を受けても、ほぼ再発します」
山口さんは転移のリスクが極めて高いがん患者で、現在は後述するホルモン治療でがんの進行を抑えているが、それも限界に近づいている。放置すれば取り返しのつかないことになる。がん告知を受けたあと、医師から「切ってさっぱりしましょう」と言われたが、転院して岡本医師に命を託したのだ。
ちなみに病院は、6月30日で岡本医師の治療を打ち切った後、7月からB准教授による標準的な小線源治療を計画している。しかし、B准教授の専門はダビンチ手術で、小線源治療ではない。小線源治療の執刀歴もない。待機患者で、神戸市在住の宮内伸浩さんは、異議申立書を読んで、次のようにコメントする。
「病院は、岡本医師の裁量権が拡大することにより、病院が独自に計画しているB准教授による標準的な小線源治療のためのリソースが制限を受けると主張しているように感じます。しかし、B准教授の治療を希望する者などはたしているのでしょうか。患者の望みをもてあそぶのもいい加減にしてほしいという思いです。患者は病院の踏み台ではありません」
高い評価を受ける岡本メソッド
岡本医師が開発し、実施してきた最先端の小線源治療は、岡本メソッドと呼ばれる。標準的な小線源治療よりも、より高い線量でがん細胞を完全に死滅さ、しかも前立腺周辺の臓器は放射線被曝を回避できる高度な技術である。
岡本メソッドの成績は卓越していて、5年後の非再発率が低リスクの前立腺がんで98.3%、中リスクで96.9%、高リスクでも96.3%である。これに対して標準的な小線源治療、全摘出手術、それに外部照射治療では、非再発率は40%から70%にとどまる。岡本メソッドは、がんが転移さえしていなければ、高リスクのがんでも、浸潤したがんでもほぼ100%完治させることができる。その治療技術は海外でも高い評価を受けている。保険適用も受け、手術件数は1100件を超えている。その評価はすでに定まっている。
ちなみに高リスクの患者に対しては、小線源治療に加えて、ホルモンを投与するホルモン療法と放射線外照射療法を組み合わせる。これはトリモダリティ療法と呼ばれ、岡本メソッドの優位性のひとつである。
発端は寄附講座
そもそも小線源治療をめぐる係争の背景に何があるのだろうか。なぜ、寄附講座とそれに併設する岡本外来が閉鎖され、岡本医師が大学病院から追放されようとしているのだろうか。
2015年1月、滋賀医科大に寄附講座が設置された。この寄附講座は、NMP社(日本メジフィジックス株式会社)が小線源治療のさらなる進化と普及を目的に、年間2000万円の寄附を申し出て、それを滋賀医科大が引き受けるかたちでスタートした。岡本メソッドを売り物にしていた大学病院にとっても願ってもないことだった。
当然、塩田浩平学長は、岡本医師を寄附講座の特任教授に任命した。ところが寄附講座の他の人事を決める際にかねてから水面下で懸念されていたことが現実になった。泌尿器科のA教授が寄附講座を泌尿器科の下部組織に位置付けることを目論んだらしく、みずから特別講座の運営に係わることを希望したのだ。
岡本医師とNMP社はA教授の参加に難色を示した。A教授が寄附講座を支配したがっているように思われたことに加えて、専門がダビンチ手術なので、小線源治療の研究開発には不適切と考えたからだ。しかし、塩田学長は「和」を重んじたらしく、A教授を寄附講座の兼任教授に任命したのである。こうして寄附講座は、岡本特任教授とA教授の体制でスタートしたのである。
ちなみに寄附講座の発足に伴い岡本医師は、正規の病院職員から、寄附講座の非正規職員となった。しかし、大学に寄附講座を設置した場合は、講座が満期終了する前に更新する慣行になっていた上に、大学病院に岡本メソッドに特化したセンターを設ける構想があった。そのために岡本医師は数年後、みずからの職がリスクにさらされることになるとは夢にも思わなかった。
寄附講座がスタートして早々に、A教授が奇妙な動きに出た。本来、岡本外来が担当すべき患者の一部を泌尿器科へ誘導して、岡本医師とは別枠で小線源治療を実施する方向で動き始めたのである。ひとつの病院に「岡本枠」と「泌尿器科枠」という小線源治療の窓口が2つ設置される異常事態になったのだ。
「泌尿器科枠」で手術を担当するのは、A教授の部下であるB准教授だった。A教授もB准教授も小線源治療の執刀経験はまったくない。すでに述べたように、岡本メソッドは高い線量のシード線源を前立腺に埋め込むので、未経験医による執刀は危険きわまりない。そのためなのか、泌尿器科の2人の医師は、岡本医師に手術に立ち会うように執拗に迫った。
岡本医師は、立ち合いを断った。B准教授の技量が不十分だったうえに、実は本人も執刀を嫌がっているという話を聞いたからだ。さらに「泌尿器科枠」の患者の診察をさせるように申し出たにもかかわらず、それを拒否され、禁止されていたからだ。岡本メソッドでは、手術前の診察を重視して、個々の患者に最適な治療方針を決める。そのプロセスを無視して執刀することは医療倫理上許されなかった。
岡本医師は、泌尿器科へ誘導された癌患者らを救うために、大胆な行動に出た。塩田学長に、A教授らが泌尿器科で目論んでいることを報告したのである。これを受けて塩田学長は、「泌尿器科枠」の小線源治療の中止を決めたのである。そして、泌尿器科へ誘導されていた患者23名の治療を岡本医師に委ねたのだ。こうして病院内の問題は落着したように見えた。
医療ミスの隠蔽
しかし、別の問題が派生してくることになる。岡本医師が、泌尿器科へ誘導された患者を診察したところ、手術の前段でB准教授が行った不要なホルモンの投与などで、本来できた治療ができなくなった患者や、もともと小線源治療の適用外患者がいることがわかったのだ。
岡本医師は、塩田学長らに患者に対する説明と謝罪を進言した。被害を受けた患者も怒り、松末吉隆院長に質問状を送付した。しかし松末院長は言い訳と隠蔽に終始する不誠実な対応を繰り返した。その結果、不信感をもった被害患者たちは松末院長に対して訴訟提起の可能性を申し立てた。弁護士も介入し、事件が病院内の枠を超え、大きくなりはじめたのだ。
こうした状況の下で滋賀医科大病院は、不正もみ消しのために寄附講座の満期まで2カ月を切った2017年11月、突然に寄附講座の終了を告知した。松末院長は岡本医師の診療予約を突然何の説明もなく強引に停止した。これにより遠方から岡本医師を受診しながら次回診療の予約がとれずに追い返されるという前代未聞の被害が、約270名の患者に発生した。岡本医師の外来は大混乱をきたすこととなった。多くの患者が医療サービス課に説明を求めたが、病院課長は言い訳を繰り返すばかりであった。
12月になって大学病院は方針を変更して、寄附講座を2019年12月末まで2年間延長することを決め収拾を図った。ただし、岡本医師による手術は同年の6月30日までとした。それ以後の6カ月間は、経過観察にあてる必要があるというのが、その理由である。こうした方針の結果、7月1日から待機患者らは岡本メソッドによる小線源治療が受けられなくなったのだ。
そこで今年2月、岡本医師と患者ら7名は、治療妨害の禁止を求めて仮処分を申し立て、そして5月20日に勝訴したのである。病院が異議を申し立てるかどうか情報が伝わらない状況の下で、6月1日、150人を超える患者や支援者が、岡本メソッドの継続を求めて大津市内をデモ行進した。全国から集まってきた人々である。2月に続いて2度目のデモだった。滋賀医科大病院の前でも、定期的にスタンディングを続けてきた。
がん患者たちの思い
私はこの事件を取材するなかで、患者らにがんの恐怖から解放された時の心境を何度も聞いた。栃木県佐野市に在住する木村幹夫(仮名)さんは、地元の病院で高リスクの前立腺がんと診断され、最後の望みを託して岡本外来を受診した。午前10時から診察と検査が始まり、診察が終わったのは夕方だった。岡本医師が「もう少し遅れていたら、骨やリンパに移転していました。私が必ず治してあげます」と言った。木村さんは安堵して、病院の玄関からタクシーに乗った。秋の気配が漂いはじめた草木林の中の道路にタクシーが入ると、涙があふれてきて止まらなくなったという。自分の父親が若くして膵臓がんで苦しみながら死ぬのを見ていたので、半ば希望を失いかけていたのであるが、再び生きようと思ったという。
患者らが病院の方針に抵抗し続けるのは、もちろん岡本外来が終了すれば、自分たちが経過観察を受けることができなくなるからという理由があるのだが、筆者にはそれだけでは割り切れない何かを感じる。患者たちは、職も経歴もまちまちだ。社会運動の体験のある人はほとんどいない。大半が高齢者だ。が、それにもかかわらず、どこからともなく患者らが集まってくるのは、不治の病から命を救ってくれた医師が、大学病院から理不尽に追放されようとしているとき、人間として黙っているわけにはいかないという思いがあるのではないか。
なお、滋賀医科大病院は抗告異議申立てについて、「係争中につき、お答えいたしかねます」としている。
(文=黒薮哲哉/「メディア黒書」主宰者)