2月16日、宮内庁は秋篠宮家の長男・悠仁さまが筑波大学附属高校へ合格されたことを発表し、4月に同校へ入学された。皇族といえば、これまでその多くが学習院を選択されることが多かっただけに、戦後初めて学習院中・高等科以外に進学された皇族の誕生は、大きな注目を集めた。
一般的に“皇族といえば学習院”というイメージが強いが、学習院がどのような歴史を持ち、どのような特徴があるのかは、あまり知られていない。そこで今回は、大学を中心とした学校実情に詳しいジャーナリストの石渡嶺司氏に解説してもらった。
公家のための教育機関として誕生し、皇室とともにあり続けた「学習院」
学習院とはどういった成り立ちの教育機関なのか。
「現在、学校法人学習院が運営している教育機関で、学習院幼稚園、学習院初等科、学習院女子中・高等科、学習院中・高等科、学習院女子大学、学習院大学の6つの幼稚園・学校を有しています。
その歴史は、1847年に仁孝天皇が京都御所に、公家を対象とした教育機関『学習所』を建てられたのが始まりとされています。その後、明治維新で江戸が東京と改称、首都が東京に定められたのちの1877年に、華族学校として東京に移転。名前を『学習院』と改めました。さらに、当時は“皇室が設置する私塾”という位置付けだったのですが、1884年に“宮内庁管轄の官立学校”に改められたのです。
この頃から、“皇族とその子弟は原則として無償で入学できる”ということ、そして“平民階級の入学は一部しか許可しない”ということも定められています。また、この時点では旧制7年制高等学校に相当するという扱いでした。その後、1908年に現在の目白(東京都豊島区)に移転。そして、第二次大戦後の1949年に新制大学として再出発をして現在に至ります。
少し補足するならば、昔は“特権階級と平民が同じ教育を受けてはならない”というような考えが強く、そのことを示すともとれる事例として、1926年に出された『皇族就学令』があります。それまで慣習的に学習院へ就学していた皇族たちでしたが、この法が定められて以降、“皇族たちは学習院へ通わなければならない”とされたのです」(石渡氏)
「皇族就学令」の存在以外にも、当時の皇族が学習院を率先して選んだ理由と推察できることがあるという。
「それは昭和天皇の存在です。昭和天皇はかつて、側近に対して自身の子弟の進学に関することを述べた書簡を残したことがありました。そこには“子弟が通う大学を選ぶとしたら東大か学習院になるだろう”というようなことが書かれており、学習院に通うことをある意味推奨していたとも考えられるわけです」(同)
戦後は新制大学として一般人に開かれ、「皇族就学令」も廃止になったが、昔は一般人が入ることは許されない学校だったようだ。
他の学校では対応できない皇室特有の問題に応えてきたノウハウ
学習院のなかでも学習院大学はその中核を担う存在だが、その他の大学と比較して特別変わった教育システムなどは存在しているのだろうか。
「実際のところ、教育システムで他の大学と大きく違うことはさほどないのですが、警備に関する部分はかなり違いがありますね。学習院はこれまでに培った皇室警備に関する豊富なノウハウを蓄積しているので、この点は他の大学と一線を画する部分です。
学習院に警備ノウハウが蓄積された背景には、戦後から1990年代くらいまで、多くの大学には“自治の理念があるので警察は大学に介入してほしくない”という考えが、色濃くあったことが関係しています。つまり、皇族の警備のためにスムーズな警察の介入を許してくれる大学が学習院しかなかったのです。とりわけ、学生運動が激化した1960年代の後半から1980年代の初頭にかけては、こうした拒否感はより顕著だったと思います」(同)
学習院大学と聞くと、“穏やかで物腰が柔らかい人が多い”という印象を持つ人もいるかもしれないが、所作に関して何か特別な教育などは行われているのだろうか。
「確かに、学習院は幼稚園から大学までの一貫教育を行っており、学習院幼稚園のサイトには“品格あるおおらかさ”を一貫した教育のなかで育んでいるというようなことが記されています。しかし、これはそういった品格を学ぶ特別授業があったり、教師や講師が上品さを教えていたりするわけではなく、もともと上品な立ち振る舞いを身につけている方が集まっているからのようですね」(同)
時代に合わせて進学傾向を変化させる皇族と、学習院の歩む道とは?
これまで多くの皇族とともに歩んできた学習院だが、2000年代以降は秋篠宮家を中心に、進学先に選ばれない場面も増えてきたという。
「理由はさまざまでしょうが、眞子さまが学ぶ科目を自由に選べる国際基督教大学(ICU)を選択された事例を考えると、これからの時代は国際的な活躍が増えることを想定して、ジャンルを横断し、教養を広く育める大学を選ぶ傾向が増えたのかもしれません。というのも、学習院は基本的にその学部や学科が専門とするジャンルを中心に学ぶことになるからです」
そんな学習院大学だが、学力レベルはどれくらいに位置しているのか。
「MARCHクラス(明治・青山学院・立教・中央・法政)と日東駒専クラス(日大・東洋・駒澤・専修)の間くらいの偏差値でしょうか。学習院の文系学部の一般入試は英語・国語・社会の3教科ですので、国立大学よりは負担は大きくないでしょう。ただ、学習院のひとつ上のMARCHクラスとなると、大学受験の難易度が上昇している昨今、受験する同世代の上位1割に入る学力が必要といわれているので、学習院も受験難易度は充分高いほうに属しています」(石渡氏)
最後に、皇室と学習院が今後どのような歩みを見せるのかについて、予想してもらった。
「皇族としてどういった立ち振る舞いが必要なのかは、その皇族の方それぞれで異なると思います。個々のお考えによって、どんな勉強をされていくのかもまた異なるでしょう。2000年代以降は皇室のなかでも柔軟な進学の選択が増えてきました。学習院側としても、皇室の方々の動向を踏まえてか、2016年に国際社会科学部を開設するなどの変化を見せているので、こうした変革の取り組みが今後も増えていくのではないでしょうか」(同)
常に皇室の歴史とともに歩んできた学習院。時代の流れに合わせた皇室の歩みに、今後どう歩調を合わせてゆくのか。
(文=A4studio)