問題は、当時と現代の違いである。現代日本の小金持ちが恋をしてフランス料理屋に通いつめ、花屋で花束を買い求めても、日本経済に及ぼす金額規模などたかが知れている。それと比して、巨大な富を持つ国王や大貴族が突然恋愛を始めた結果の経済効果は、実に大きい。
当時のヨーロッパなら大貴族が恋を始めることで、毎晩のように大パーティーが開かれ、そのために大量のドレスが新調される。花束どころか恋の相手のためには大庭園が造成される。そしてそのような消費の恩恵は、たくさんの料理人、仕立て屋、造園師へと広がり、収入の増えた彼らがさらにお金を使うことで経済が回っていく。
では、21世紀初頭の日本で、同じ経済効果を起こそうとすれば?
そのためには少数の金持ちが恋をするのではなく、国内の恋愛総量を増やす以外に方法はない。とはいえ過去40年間、日本の恋愛総量は劇的に低下している。そもそも結婚適齢期の男女の数は、団塊の世代が若かった約40年くらい前当時が最大で、現在は過去と比べて極小の状態である。しかも、その恋愛消費の担い手が草食男子だときている。
●既婚者の恋愛=不倫が増えれば景気回復?
では、どうすればよいか?
もうおわかりのとおり、解決策は既婚者の恋愛を増やせばよいのである。
思い起こせば高度成長時代、企業戦士たちは夜になると銀座に繰り出して会社の経費で疑似恋愛を繰り返していた。それがいつの間にか接待交際費が費用として認められなくなり、コンプライアンスの関係で上司は部下の異性と一対一では食事がしにくくなり、果ては間違えて不倫などしようものなら、社会から激しく糾弾される世の中になってしまった。
「恋愛のリスク」が増えたことで、日本社会では既婚者の恋愛総量が劇的に低下してしまった。ゾンバルトの理論に立ち返れば、そのことが「将来が不安な世の中で、国民がお金を使う唯一の可能性を消してしまっている」ことになる。そしてこのままでは、アベノミクスはいずれ行き詰ってしまうはずだ。
既婚者の恋愛についてはアメリカでもなかなかおおっぴらには公言することができないが、ヨーロッパではそうでもない。イタリア人はいつもマナーとして女性に愛を語りかけているし、フランスでは大物政治家が不倫をしていても「仕事と私生活は関係ない」と政治問題になる気配すらない。
フランスもイタリアも日本同様に問題を抱える社会であるにもかかわらず、国民はそれなりに現在と未来を楽しみ、毎晩歌を歌いワインを楽しんでいるではないか。
そこでわれわれも、声を大にして叫んでみてはどうだろう?
「日本を再生させるために必要なのは、生涯を通じての恋愛である。フランスやイタリアを見習おう」
日本再生のためには一億総島耕作化、一億総石田純一化が今こそ必要なのだ。
ゾンバルトの理論に興味の沸いた方は、彼の著した名著『恋愛と贅沢と資本主義』(講談社学術文庫)をぜひご一読いただきたい。
(文=鈴木貴博/百年コンサルティング代表取締役)
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