住宅購入、35年間ローン払い続け老朽化住宅を手にする悲劇…低金利=今買うべきの盲点
この論調の根拠は次のようなものだ。金融機関は日銀にお金を預けるとマイナス金利、つまり金利を取られてしまうから、「貸さなくてはならない」。一時にたくさんのお金を貸せて安全な貸出は何か? そうだ、不動産なら「担保」がとれるから「安全」だ。だから不動産にばんばんお金を貸そう。そうすれば、みんなが不動産を買うから、不動産はどんどん値上がりする。だから不動産は「今、買い時なり」。
あふれかえったマネーが、不動産投資に向かうのではないか。この思惑で今、不動産関連業界は勇気づけられている、というわけだ。
これらの議論で実は「決定的に欠けている」ポイントが、投資には必ず出口が必要だということだ。どうも日本の多くの評論家やメディアは相変わらず、不動産に投資する(お金を使う)という行為が、まったくといってよいほど理解できていない。
彼らの論拠はあくまでも投資の「入口」の話をしているにすぎない。果たして、今の日本の不動産に明るい「出口」が用意されているのだろうか。現実は投資マネーが好む一部のエリアを除いて、日本の多くの不動産にバラ色の将来価値を思い描くことは困難になりつつある。
金融機関がよく見誤るのが不動産の担保価値だ。担保価値とは、「売ってなんぼ」の価値であるはずだ。担保にとってさえしまえば「安心」なのではない。売りたいときにその不動産は担保評価しただけの価値で自由にいつでも売ることができるとの勝手な思い込みがあまりに多すぎるのではないだろうか。
質の悪いジョーク
もうひとつ。この論拠に決定的に欠けているのが、不動産に対する「実需」の見方だ。たしかに不動産は証券化という手法を通じて日々マーケットでも取引ができるようになっているが、その価格を形成する不動産価値とは、土地あるいは建物にどのような「実需=ニーズ」が存在するかということだ。
今の不動産取引はそんな実需のことなどお構いなしに、他の金融商品と同じようなものとして取り扱っているのではないか。株式でも債券でもその発行体については、どの金融機関でもきちんと調べて、リスク・リターンを分析したうえで、評価を与えるはずである。
ところが今行われている議論は「マネーがあふれるので、そのマネーは不動産へ」という、ほとんどなんら根拠のない期待と思い込みで不動産を語っているように感じられる。やがて、彼らが「担保」と信じ込んでいた不動産に、実はなんのニーズもない、つまりソフトウェアのないただのハコだったと気づいたときに、多くの不動産が「出口」を見失い、「バブルの崩壊」はスタートするのだ。