社長の家が「田園調布・成城の一戸建て」から「赤坂・西新宿のタワマン」に移った合理的理由
「地(じ)ぐらい」とは、不動産業界の隠語だ。意味は住宅地の高級・低級を表すもので、「地ぐらいが低い」などのように使う。一昔前まではこの「地ぐらい」で説明できない土地はなかったが、湾岸のタワーマンションはこの言葉では説明できない。その変化の背景にあるのは、世帯構成の変化だ。つまり、必然の結果なのであり、それを明らかにしておこう。
社長の自宅は戸建てからマンションへ
東京商工リサーチの2017年全国「社長の住む街」調査によると、1位赤坂、2位西新宿、3位六本木であった。しかし、03年のトップ3の顔ぶれはまったく違う。1位田園調布、2位成城、3位大泉学園町という具合だ。
これは別の見方もできる。17年はマンション立地で、03年は戸建て立地だということだ。高級住宅地に庭付きの一戸建てを建てるのは戦後の昭和世代のステイタスだった。しかし、それは「今は昔」なのである。
この傾向を端的に表すものとして、マンションと戸建ての価格変化がある。マンションと戸建てと土地の価格インデックスがあるが、アベノミクス以降、マンションは大きく値上がりしているのに対して、戸建てと土地は横ばいにしかなっていない。
アベノミクスの経済政策の3本の矢のひとつ、金融緩和は不動産へのお金の流れを加速させ、不動産価格が高騰するのがいつものことだった。しかし、今回ばかりは戸建てと土地の需給バランスが緩く、値上がりしない状況にある。こうなるのには、理由としての社会背景がある。
「丘の上は暮らしにくい」時代に
以前、地ぐらいの高い住宅地は丘の上だった。しかし、今では「丘の上は暮らしにくい」という声が多い。特に高齢者には受けが悪い。なぜなら、丘の上にはスーパーマーケットもコンビニエンスストアもないからだ。生活で必要なものは庶民の下界に降りていかなければならない。「クルマで行けば」「運んでもらえば」とは言うものの、買い物は日常のことで、体への負担と時間のかかる距離は心理的に敬遠されるのが現実だ。
そこで重宝がられるのが、エレベータである。高低差はエレベータがカバーするとなると、タワーマンションは居住位置の高さとアクセスの良さで一挙両得になる。こうした高低差は家の中でも嫌われている。戸建ての2階は足腰が弱ったお年寄りには苦痛になる。結果的に1階ですべての生活を行い、2階は物置になっている家は多い。その点、マンションは最初から平屋の住戸の集合体だ。エントランスからエレベータを経て共用の廊下を抜けると、そこは自分の家でフラットな床しかない。
こうして、資産家の住まいは「丘の上よりタワーの上」に移りつつあるのだ。
不動産の評価を左右する賃料は「アクセス」が命
バブル崩壊まで、不動産鑑定評価は実質ひとつしかなかった。それは取引事例を比較するもので、隣の土地が10%値上がればその周辺も10%値上がったとみなされる。これには価格変動の限度がない。隣が毎年2倍になれば、その隣もそうした値動きにしかならない。こうして「バブル」は生まれ、終焉を迎えた。地ぐらいはこの取引事例比較法の申し子であったので、地ぐらいがエリア間で逆転することはなかった。
しかし、この不動産鑑定手法は今や主力ではない。現在もっとも幅を利かせているのは、収益還元法というものだ。これは不動産投資信託が21世紀から生まれたように、世界基準の不動産金融の影響を受けて急速に一般化した。土地を買って開発するデベロッパーは土地を買う際に所有した場合の事業収支をつくるが、収益還元はこの事業収支の影響を強く受ける。収支が合わない投資はしないということが不動産価格の動きを制限することになる。こうなると、もっとも不動産の評価に影響を与えるものは収益性、つまり賃料になる。
賃料は地ぐらいの影響を受けにくい。先ほど書いたように、高級住宅地は暮らすには多少不便だからだ。高級住宅地ほど閑静であるように都市計画されているので、店舗はなく生活は不便になりがちだ。
賃料はアクセスでほぼ決まる。オフィスに近い、駅に近い、乗り換えが少ない、地下鉄で地上まで出るのに時間がかからない、などが賃料には非常に重要なのだ。
不動産は「地ぐらい」から「賃料」へ
日本は持ち家率が高く、年齢が上がると持ち家取得が進む。戦後の家族は祖父母同居の三世代家族も多かったが、その後「核家族」と言われる親子だけの同居となり、現在は単身化が進んでいる。
世帯構成は一貫して小さくなり、世帯人員は減少の一途だった。世帯が小さくなると、住まいを自分の意思で決めることができる。また、ファミリーの子ども中心の生活から、働き手である親の共働きも一般化し、標準的な世帯は変貌を遂げた。世帯の中の働き手が増えると職住近接ニーズが強くなり、大きな家が必要ではなくなり、都心寄りに内周化して住むようになる。
現在の不動産価格において重要なのは、賃料を決めている担い手になる。賃料は借家層に決定権があり、その主たる層は単身の若い世代になっている。地ぐらいから賃料への流れは、持ち家から借家へ、親世代から子ども世代への流れでもあるのだ。
“地ぐらいの亡霊”とは
災害は忘れた頃にやってくる。地ぐらいは災害の戒めの要素が大きかった。地震、川の氾濫、火事はその戒めとして、埋立地よりも台地、川沿いよりも丘の上、木造密集地ではなく大きな敷地が良いとされた。これは今も変わらない重要な歴史の教訓である。しかし、社会インフラも変わってきている。大地震後の建築基準法の変更、道路の整備、ライフラインの共同溝化、河川の治水、建物の耐火構造など、社会ストックの質が徐々に良くなっているのは事実だ。
とはいえ、それをあざ笑うかのような大災害のしっぺ返しが最近は絶えない。東日本大震災後の千葉・新浦安の資産価値の変化は甚大であった。この意味でこれからも想定以上の災害リスクがないとは言えないので、一概に職住近接で済ますことができないのは肝に銘じる必要がある。
職住近接で計2000万円の削減効果に?
日本人は、度重なる大災害を忘れて災害リスクがある場所に移り住んでいるわけではないだろう。それよりも重要に思えていることがあるからだ。それは「タイム・イズ・マネー」という言葉に表れているように思われる。単身世帯が増えると、これは強調されやすくなる。実際、職住近接によって人生の満足度が変わるという調査結果もあるくらいだ。
確かに、都心のオフィスに毎日1時間以上かけて通うのは年間200日でも往復400時間に及ぶ。労働の時間単価を掛け合わせると、年間100万円程度になる。通勤時間を半減させることができた場合の価値を50万円とすると、月4万円の賃料負担と同等になる。そのくらい職住近接のニーズはあり、40年働くと想定すると2000万円の削減効果に相当する。
地ぐらいに代わる基準はアクセスの良さで、その副作用は災害への弱さだ。災害リスクは湾岸のほうが高く、その利回りの高さに表れている。アクセスがいいから家賃は払うけど、持ち家を持つにはリスクが高くて高い価格では買えないという心の叫びの証拠なのだろう。アクセスの良さと災害リスクの少なさを両立する立地は、これから再評価されるのである。
(文=沖有人/スタイルアクト(株)代表取締役、不動産コンサルタント)
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